下田 ペリーロード 黒船来航と日本開港の記録の街を歩く


開港をせまるペリー提督があるいた道

日本において、鎖国と終了と開港の歴史は国の発展に大きく関わるセンセーショナルな出来事の一つです。

長く鎖国状態にあった日本において、港を開く『開国』という歴史が大きく動いたのは、誰もが知るペリー提督一行の黒船来航です。そして、このペリー来航といえば、浦賀と下田を語らずにはいられません。

幕末、浦賀沖にやってきた黒船には日本でも有名なペリー提督がのっていました。

ペリー提督は、当時の江戸幕府に開国を要求する大統領の国書を提示。黒船来航の同じ年1854年に「日米和親条約」が締結されました。そこで、日本ではじめて下田が開港することが決まり、長く長く続いた鎖国が終わり、新しい歴史の1ページが刻まれました。

しかし、当時の日米外交交渉は簡単なものではありませんでした。

日米和親条約が締結されたものの、しばらくの間は具体的な交易が決まっていなかったため、ペリー提督はしびれをきらし、その取り決めをするために直接下田にやってきます。

その時に、ペリー提督一行が歩いたとされているのが、現在の「ペリーロード」と呼ばれる道です。

ペリーロードの端にある港には、ペリー艦隊上陸記念碑があります。ここから条約の交渉場所となった了仙寺(りょうせんじ)までの道のりがペリーロードとされています

ペリー艦隊上陸記念碑

レトロな建物が並ぶ石畳

現在のペリーロードは観光用に整備され、美しい石畳のおしゃれな街に生まれ変わっています。

ペリーロードには、江戸末期から大正初期にタイムスリップしたかのような古い建物が立ち並び、レトロな町並みが残っています。ペリーロードの中央に流れる平滑川(ひらなめがわ)をはさんで延びる二本の道は、昔は土だったそうです。

現在は、街歩きしやすい綺麗な石畳が整備されました。

街全体が、とてもレトロでおしゃれな町並みです。どこから写真を撮ってもフォトジェニックです。

ここからスタート

平滑川に集うカモたち。情緒的な風景にとけこんでいて、とても素敵でした。

平滑川に集うカモ

この日は、さほど人手が多くはなかったのですが、ペリーロード自体は幅広の道では無いので混雑している時は、少し窮屈かもしれません。現在は、新型コロナウイルス感染症の関係で海外からのインバウンド客が少ないので、日本人が観光するのに便利かも知れませんね。

また、ペリーロードは端から端まで約500メートル くらいです。両側にならぶお店をみながらゆっくり歩きながら観光するのにちょうどよい観光スポットなので、デートにもおすすめ!

平滑川
大砲

旧澤村邸

ペリーロードの港側の端っこには、旧澤村邸があります。大正4年(1915年)に建てられたレトロな建物で、白と黒のなまこ壁の旧家です。通常は、無料休憩スペースとして開放されているらしいのですが、この日は新型コロナウイルス感染症の関係でしょうか、中まで入ることはできませんでした。外から鑑賞。

<なまこ壁>
『なまこ壁』とは、土壁による壁塗りの様式の一つ。壁に平瓦を並べ、その目地に漆喰を盛り付けて塗る塗装方法です。「なまこ壁」の名前の由来は、盛り付けられた目地が「なまこ」に似ているからとのこと。

旧澤村邸

石畳散歩と金目鯛ランチ

さっそく、旧澤村邸からペリー提督一行が歩いた了仙寺まで、ペリーロードを歩いて散策します。平滑川には、所々に橋がかかっており、川の両側に並ぶお店に行き来できます。

このペリーロード沿いに建つレトロな建物は「伊豆石」を用いて建てられたものが多いのだそうです。伊豆石は伊豆半島で取れる石材。伊豆石は耐火性に優れつつ柔らかい石なので加工しやすい石なのだそうです。

ちょうどお昼時でしたので、川沿いに並ぶ和食屋さんに入って、金目鯛の煮付け定食をいただきました。下田は金目鯛が有名なので金目鯛料理を出す飲食店が多いです。

下田は、なんと金目鯛水揚げ量日本一の港です。年間の水揚量は1000トン以上で下田で水揚げされる8割が金目鯛です。


日露和親条約が調印されたお寺 長楽寺

ペリーロードを了仙寺方面に歩くと、まず先に長楽寺がありますので、先にこちらで御詣りするのがおすすめです。
長楽寺は、1954年にロシア使節海軍中尉のプチャーチンと日露和親条約の調印を行ったお寺です。その翌年には日米和親条約の批准書の交換も行われました。

ペリーロードよりも少し高い場所にあるお寺ですので、石段か坂道を登って長楽寺へと参拝します。境内にはお吉観音を祀る宝物館や悲恋のおすみ弁天などがあり拝観できます。

長楽寺

素朴なお寺ですが、歴史を変える多くの交渉事に使われたお寺だと思うと、とても感慨深いものがありますね。

長楽寺

日米下田条約締結のお寺 了仙寺

そしてペリーロードの終点には日米和親条約が締結されたお寺『了仙寺』があります。ここはペリーロード観光の最大拠点なので、必ず訪れましょう。

了仙寺の歴史

了仙寺の創建は江戸時代です。

大阪夏の陣の時、眼病を患った徳川家康公は身延山久遠寺第十一世の行学院日朝上人に病気平癒の願をかけ、その祈願が成就したことで寺を建立することを約束しました。その後、1635年に第2代下田奉行・今村伝四郎正長によって了仙寺が創建されたのだそうです。

よって、了仙寺の寺紋は徳川家の紋である三つ葉葵です。徳川家にまつわるお寺ということです。

その後、下田了仙寺はペリー提督の黒船来航により非常に重要な役割を担った寺として有名になりました。

了仙寺

ペリー提督と黒船

ペリーが日本に向かったのは1852年です。

なぜ、ペリーらが日本に向かったかというと、当時のアメリカは太平洋の重要性が高まっていた時代であり、北太平洋にある日本との国交は、当時のアメリカにとっては欠かすことのできない事だったからです。

もともと、ペリー提督による黒船来航は、日本に圧力をかけるために12隻の大艦隊でやってくる予定でした。しかし、蒸気船の完成が遅れてしまい、仕方なく最初期の蒸気船ミシシッピー号でやってくることになったのだそうです。蒸気船2隻・帆船2隻からなる艦隊を編成し、日本の浦賀沖に来航したのは1853年7月8日でした。

了仙寺

ペリーとの外交交渉と下田

浦賀沖に上陸したペリー提督らは、久里浜にて日本側に開国を提唱するアメリカ大統領の親書を渡したのちに中国上海へと移動します。そして再び浦賀に来航したのが1854年です。

そこで、横浜で日米和親条約が締結されました。

当時締結した日米和親条約には、下田と函館の開港とアメリカ船の日本における物資の確保、アメリカ人の安全の保障などについてが盛り込まれていました。

しかし、横浜で締結した日米和親条約では細かい点がほとんど決められていなかったため、ペリー提督一行は下田に上陸し、直接日本側と交渉をすることにしました。なので、横浜で日米和親条約が締結したというよりも、実際には、この下田で成立したという言えます。

その外交交渉の場が了仙寺でした。

そして、当時、ペリー提督をはじめとするアメリカ人たちは、下田湾の美しい風景に感嘆の声をあげたという記録が残っているそうです。また、下田の町がきれいに整備されていて、下水が川に直接流れ込まないように川の脇に下水溝が整備されている事にも驚いたという事でした。

ペリー提督一行は、日本の美しい姿に、ある一定のリスペクトを感じ、それらが少なからずとも外交交渉にも影響したのかもしれませんね。とても素敵なお話です。

了仙寺
了仙寺 御朱印
了仙寺 御朱印帳

黒船ミュージアムで条約締結について学ぶ


そして、了仙寺の隣には『黒船ミュージアム』が隣接しており、より詳しくペリー提督と日米和親条約の歴史について学ぶことができます。ぜひ、ミュージアムに立ち寄って下田とペリーロードについて学ぶことをおすすめします。

黒船ミュージアム
黒船ミュージアム


黒船ミュージアムの館内では、当時の日米和親条約における外交交渉をまとめた映画を観ることができます。数分間のショートムービーなので、ぜひご覧ください。

当時のペリーと日本側との交渉では、ペリー側が一方的に武力のような圧力で脅し締結したのではなく、日本側の見事な交渉術によるものだったということを解説してくれます。

日米和親条約は「不平等条約」等と言われることがありますが、実際は全くちがったそうです。実際には、ペリーとの交渉の過程では、日本は一歩もアメリカに譲りませんでした。

アメリカ側が日本に対して訴えてきた多くの事を、日本側は論理建てて論破し、ペリー提督を納得させる交渉を行いました。当時の政治能力の高さに感動することうけあいです。


開国博物館

最後に、ペリーロードから少し先に行ったところには『開国博物館』があります。今回は立ち寄りませんでしたが、こちらには日本開国に係る約2000点の資料・遺品の中から約1000点が入れ替え展示されています。

また、その近くには、幕末の志士である吉田松陰の拘禁跡地があります。吉田松陰はペリー艦隊での密航を企てましたが失敗してしまい自首しました。下田奉行所により、この場所にあったお寺に拘禁されたそうです。お寺は廃寺になりましたので碑だけが立っています。


日本の開国の歴史は、今の近代国家を考える上で、非常に重要な歴史の分岐点でした。下田は、日本ではじめて、外国人が自由に通りを歩けるようになった街です。

日米修好通商条約の締結により港の開港の表舞台は、横浜や神戸などに移りましたが、ペリー提督が黒船で来航してから明治維新までの間は、この地、下田が開港の拠点だったことから、新しい歴史の幕開けとしての独特のノスタルジーを感じられます。


どうぞ、皆様も是非下田に起こし下さい。