GWの旅の記録、第3弾。
下北半島にある恐山にお参りした時のリポートです。
無垢な世界に映える鮮やかな山門
そこは、静かでツンと研ぎ澄まされた空気をたたえた魂を感じる山だった。

青森県の下北半島の中央部にある恐山(おそれざん)は、高野山、比叡山と並び、日本の3大霊場の一つ。
最高峰は、標高879m。下北半島国定公園に指定されている。
くねくねとした山道を登り切ると、突然、広くひらけた山門に到着した。
霊場入口からみる風景は、低い山々に囲まれた無垢の世界。
「何もない」という表現がピッタリで、霊場独特の雰囲気が漂う。
車を降りると、その瞬間から、強い硫黄臭が鼻をつく。
数分間かいでいると、ほのかに頭痛がしてきた。
一瞬、『霊的な反応か?』と思ったが、これは霊的な現象ではなく、有毒ガスによる軽い中毒症状なんだそうだ。
慣れるまで、しばし我慢する事とする。

入山料を払い、参道へと向かう。
山門をくぐると、すぐ、小さな小屋のようなものが見える。
まるで、昭和の時代の、山村の小学校のような出で立ち。
そこは、温泉だそうだ。
霊場内には数種類の温泉が湧き、参拝客は無料でその温泉が利用できる。湯治場としても有名なんだそうだ。

恐山の開祖は慈覚大師円仁。
862年に、「東へ向かうこと三十余日、霊山ありその地に仏道をひろめよ」との夢のお告げに従い、ようやく辿り着いたのが恐山だと言われている。
参道に立つ立派な門は、すこぶる鮮やかで、シンプルな風景を着色するように佇んでいる。
無間地獄
その鮮やかな門をくぐり先に進むと、一気に風景が一変する。
入山すると、そこは火山地帯のゴツゴツした岩場のような山肌になっていて、とても歩きにくい。スニーカーでも滑りやすいので、足元に注意しながらゆっくりと登っていく。
火山性ガス(亜硫酸ガス)が充満しているため、硫黄臭がいっそう強くなる。

門から離れ、山をちょっと上り、後ろを振り返ると、こんな風景が広がっていた。これは、一番最初の参拝場所である「奥の院」に向かう小道から振り返った風景。
すごく幻想的で美しい風景だった。
ざらざらした感触を感じながら、石の積まれた山道を、さらに奥までゆっくりと進んでいく。





そのまま山を登りながら、石がつまれた数々のお地蔵さんを参拝していく。
それぞれのお地蔵さんやスポットには、
「無間地獄」
「三途の川」
「賽の河原」
「胎内巡り」
など、人間の生きている世界と死後の世界をつなぐような名前がついている。
石の造形が、それぞれの世界観を表しているため、付けられた名前のようだった。
また、お地蔵さんの周りに積み上がっている石は、参拝者が積み上げたもの。勝手に移動してはいけないのだそう。亡くした大切な人を思い供養する人々の、浄化された思いが感じられる。
極楽浄土と湖
硫黄臭とゴツゴツした岩場を一巡りすると、遠くに美しいエメラルドグリーンの湖が見えてくる。
ここまでくると、いつの間にか、頭痛もおさまり、硫黄臭に慣れてきたようだった。
カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)は、まるで極楽浄土をイメージしたかのような美しい穏やかな湖。「うそり」とはアイヌ語の「うしょろ/窪地」であり、これはカルデラを意味するそう。火山岩に覆われ、地獄という名のつく岩場をめぐった後でひろがる湖は、死への恐れを吸い込むような安らぎがあった。
生き生きとした、私たちが暮らす『生』の世界から、ゴツゴツとした無垢の世界『死』の世界への誘いへの表現。火山岩と美しい湖が一緒に共存する姿は、まさに霊場たる要素をすべて取り揃えた風景だと思った。

恐山は地蔵信仰の山だ。
地蔵菩薩 (じぞうぼさつ)は、サンスクリット語ではクシティ・ガルバ。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」とされている。
恐山の地蔵菩薩の存在自体が、私たち人々の「母」という存在にみえ、いつの間にか心が研ぎ澄まされていくようだった。
『人はみな
それぞれ悲しき過去を持ち
賽の河原に小石積みたり』
沢山の人々の、鎮魂への祈りがつまった、神秘的で静寂に包まれた霊場だった。
