※(千葉県香取市)佐原の町並み保存地区を観光したときの様子をブログにまとめたものです。
利根川を越えたら、もう茨城県。
千葉県の端っこに位置する千葉県香取市の佐原。
かつては、水運を利用して「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていた佐原は、いまでも小野川沿いや香取街道沿いに、重要伝統的建造物群保存地区があり、今も小江戸の雰囲気をたたえた町並みを残している。

昔、佐原に住む人々は、水路を通して伝わる、江戸の文化を取り入れつつも、更にそれを独自の文化に昇華して生活していたそうだ。
今でも、綺麗に保存された古い小江戸の町並みを、ゆったりと探索でき、とても優雅な佇まいを感じさせる。
町並み保存地区の中心部「忠敬橋」を中心に、小野川と香取街道がクロスし、この川と街道沿いに小江戸の風情を残す建物が軒をつらねる。
小野川沿いには、柳の木が並んでいるがオフシーズンにつき枯れ木になっていて多少さびしい。春から秋ごろまでなら、青々とした柳が風に吹かれる風情を楽しめることだろう。
そして、その柳が揺れるのを見ながら、舟下りも楽しめるそうだ。1月の寒空の中では、舟下りの客もまばらで、コタツをのせた舟が、船着場でさびしそうに客の訪れを待っている。
小堀屋本店の黒切蕎麦
ちょうどお昼時。
お腹がすいていたので、創業天明2年のおそばやさん、小堀屋本店でおそばをいただいた。
小堀屋さんは、元々お醤油屋さん。江戸時代の後期に火事で焼けてしまったのをきっかけに、1782年に蕎麦屋を開業。現在は、8代目のご主人がお店を切り盛りしている。

建物は千葉県有形文化財。今でも、江戸時代の町家の建築形式を残していて、とても趣きがある。
小堀屋本店の名物は黒切蕎麦(くろきりそば)。昆布を加工して黒い色を出しているお蕎麦。見た目はイカスミのように真っ黒だ。お蕎麦は細く更科そばのよう。しかし、口に入れると、しっかりとした触感が心地よい。
さらに、何よりも美味しかったのはそばつゆ。お蕎麦屋さんのお蕎麦の味を決めるのは、7割がたそばつゆだと思うが、ここのそばつゆは非常に美味しい!最後はそばつゆにそば湯を入れて、すべて飲み干してしまった。超美味!

植田屋荒物店の竹グッズ
小江戸の町並みを見ながら、ブラブラとお店を巡ってみた。
よくあるおみやげ屋さんのようなお店というよりも、元々、地元に根づいて地場産業の商いをしていたようなお店が多い。すこぶる個性的な店が多い。外から覗いただけでは、どんなものを売っているのかよく分からない。

すると、店先に、竹でできたホウキやちりとりなどが並んでいるお店を見つける。『植田屋荒物店』。
『荒物店』…..なんだ、なんだ。アラモノって何だ???
竹のしなやかな風合いに吸い込まれるように、お店の中を覗いてみる。
植田屋荒物店は1759年創業。現当主で7代目の老舗荒物店。かつては、荒物のほかに、畳表を九州や岡山の産地から買い付け、佐原の畳屋に卸売をしていたどうだ。
中に入って商品をぐるりと見渡してみる。
実に、実に面白い!
全て、国産の竹を使い、国内の職人さんが手作りで作った竹グッズが目白押しである。お玉、しゃもじ、スプーン。台所グッズのみならず、様々な竹製品がやんややんやと並んでいる。
最近では、こういった竹製品も海外製のものも多く、国産で作成されているものと海外製のものの区別がされなくなってきているそうだ。海外製のものだと、漂白された竹などで作られるものもあるらしいが、ここの竹グッズはそんなことはせず、国産の竹を丁寧に加工し、やさしいキッチングッズに仕上げているとのことだった。
たしかに、フォルムや色や風合いがやさしい。竹製のお玉なんかは、エッジが丸く触るとやさしい触感が感じられる。竹製のお玉で煮物をすくうと、崩れたりしないでやさしく盛りつけられるんだそう。確かに、プラスチックや金物製品とは全く違う風合いを感じた。
そんなこんなで、たんまりと竹製品を購入。そんなに高額な商品を買ったわけではないのに、おまけに竹ようじをプレゼントしてもらった。
こんな小さくて細やかなサプライズが、小江戸のおもてなしなのだろう。

水郷佐原山車会館
古い町並みをみながら、佐原の地元に根付く祭りの文化がかいまみれる「水郷佐原山車会館」へ。
江戸の古くからうけつがれる大人形山車の実物が展示されている展示館である。

年2回行われる佐原のお祭、「佐原の大祭」と「佐原囃子」は重要無形民族文化財として国の指定をうけ、地元のみなさんに愛され、守り続けられているお祭りだそうだ。
大きな山車のてっぺんには、人形が乗せてあり、実物大をみると圧倒されるほどの大きさだ。人形の種類はものすごく沢山あり、思いの外ノージャンルで微笑ましい。浦島太郎から藤原道長まである。(笑)
この大きな山車を、小野川沿いの狭い道を引き回す姿が圧巻らしい。機会があればライブで見たいものだ。
正上で買った蛤だし醤油
来た道をUターンして、反対側の町並みを歩いて帰る途中老舗のお醤油やさんに立ち寄る。『正上』さんは、江戸時代より醤油の醸造をしていた老舗。創業は1800年で現在は10代目の店主が切り盛りしているそうだ。
この正上さんは、江戸時代の店構が残る数少ない建築物だそうで、当時の戸締りの方法である「よろい戸」方式が残っている。また、店の奥には千本格子の障子戸が残っている。

店内には、主に、佃煮やだし醤油が陳列されていて美味しそう。佃煮は、試食も充実していて、味を確認しながら購入できる。
お店に入るやいなや、店員さんがお茶を給仕してくれる。街歩きで疲れた足と、ちょっと冷えた体をあたためてくれて、心底あたたまる美味しいお茶だった。おそらく、佃煮の試食をする際にも、お茶があると便利である。
ここにも小江戸のおもてなしが散りばめられている。
すっかり体に染み込んだ温かいお茶でリラックスしたせいで、いくつか買い物に興じる。
お醤油屋さんなので、「蛤だし醤油」と「お麩」、「海老塩のり」を購入。食べるのが楽しみである。(笑)

伊能忠敬記念館
町並み散策とおみやげを買い終わった後で、伊能忠敬記念館へ。
日本人なら伊能忠敬という名前を聞いたことがない、という人は滅多にいないだろう。日本史でかならず出てきた歴史上の人物。日本で初めて日本地図を作った偉人である。

佐原は伊能忠敬の故郷。
忠敬が住んでいた旧家も現存している。(ただし、2011年の東日本大震災で大きな被害をうけ、先日ようやく修復が完了している)
伊能家は、地元でも有名な商家。酒造業を中心にさまざまな商いを手広く広げ、今でいうところの総合商社的なビジネスをしていたそう。伊能忠敬が実家の商いをついでから、さらに年商を増やし、家業を大きくし、莫大な資産を残した。
そして、49歳で引退し、50歳を過ぎてから、日本地図を作るための旅へと出かけたのだそうだ。
伊能忠敬の旧家はとてもお洒落で、とても美しい作りをしていた。中庭や庭を流れる小川、瓦を使った装飾など、とてもモダンだった。
その後、伊能忠敬記念館へ。

ちょうど無料ガイドさんによる忠敬の業績の解説を聞くことができ、さらに理解が深まる。
伊能忠敬は、もともと、天文学や暦学に興味をもっていて、地球の大きさを図りたいということが日本地図作成の発端だったそう。天文学の先生である高橋至時の弟子になり、55歳で北海道南岸の測量を開始した。
73歳で亡くなっているが、亡くなった後でも忠敬の弟子が計測を引き継ぎ、完璧な日本地図を完成させている。
現代の地図と重ね合わせても、経度の差は若干あるものの、寸分違わない正確さの地図が出来上がっていた事がわかっている。
忠敬が日本地図を完成させることができた理由。
それは、人生の前半期で財をなし、その財を投じることができたこと、そして、興味関心のものと、学業と探求をやめなかったこと、そして、弟子や協力者のもと、様々な人々の力を借りながら成し遂げたことだという。
努力と学び、そして人とのつながりが、偉業を成し遂げたと思うと、すこぶる感慨深いものがある。

被災からの復興
佐原は、2011年の東日本大震災の被災地に認定された街である。
古い建物が並ぶ小江戸佐原も、震災で沢山の建物に被害が生じたそうだ。
震災で閉店してしまったお店はあるものの、ほとんどの建物がきちんと修復され、今でも綺麗な町並みを復活させている。
3.11の震災の被災地というと、とかく東北地方に目がいってしまうが、この千葉県も被災地の一つである。
歴史上価値のある古い町並みも、震災の衝撃にも負けず、たくましく復興した佐原に、みなさんもぜひ行ってみてはいかがでしょうか?小江戸らしい、あたたかくホッとするおもてなしに出会えることだろう。