昨日の土曜日は、ジョン・カーニー監督の最新作、“シング・ストリート 未来へのうた”を観に行ってきた。
ジョン・カーニー監督は、私の大好きな監督の1人で、過去作の“ONCE ダブリンの街角で”や“はじまりのうた”などの代表作がある。
いずれも音楽映画と呼ばれるジャンルであり、いずれも音楽が生まれる瞬間を物語として描かれた作品になっている。
こちらの二作品については、私のブログで、すでに感想をまとめてあるので、こちらをご参考いただけばと思う。今回の最新作 “シング・ストリート 未来へのうた”も最高の作品だったのでレヴューをまとめてみたいと思う。

混沌とした社会への
フラストレーションの発散
ジョン・カーニー監督作品は、いつも、どん底にあるフツフツとしたフラストレーションから、一歩抜け出すための、未来への一歩を描く。
過去作の“ONCE ダブリンの街角で”は、街頭でLIVEをして生活する売れないミュージシャン、”はじまりのうた”でも、彼氏にふられたばかりの女性シンガーソングライター。
前に進めないドン底のミュージシャンが主人公だった。
今回の”シング・ストリート”では、ちょっと異なり、さえない男子高校生が主人公。
家庭の事情で、上品な高校から荒廃した高校に転校せざるをえなくなり、登校初日から気の荒いいじめっこにいじめの洗礼をうける……というシーンから始まる。
時代背景は、1980年代のアイルランド。この時代のアイルランドは、失業率も高く、若者の希望もなかったそうだ。希望を求めてイングランドに渡る若者も多いものの、必ずしも成功するとは限らず、結局アイルランドに舞い戻ってくるという人びとも多かったらしい。
『サッカーやるか、音楽やるか』しか無かった時代だったそう。
そんな時代背景の中で、イケてない男子高校生が、偶然出会った美しい女の子。彼女に一目惚れした主人公が、ほとんど行き当たりばったりで意中の彼女にアピールするためバンドを組むという物語になっている。
過去の二作品では、アマチュアではあるものの、すでに曲作りをしていた大人のミュージシャンが主人公だったのにくらべ、今回はズブの素人の高校生が主人公。彼らが、どんなセッションを見せてくれるのかが見どころになっている。

80年代のファッションとカルチャーが可愛い
シング・ストリートとは、実際にアイルランドにある通りの名前で、そのエリアに実際に実在する高校が舞台になっているフィクション。ジョン・カーニー監督も、この高校卒だったらしい。80年代以前の時代は、家庭の経済事情から、高校に進学できない子どもも多かったそうだ。
いわば落ちこぼれ達が、いかに社会で目立つか?という設定になっており、アイルランドで暮らす若者の、親・先生・社会に向けた反抗心やフラストレーションの発散のメタファーとなっているようだった。
劇中に流れる音楽は、80年代ヒットしたUKサウンドとオリジナル曲で構成され、オリジナル曲の軽やかさは健在で、今回も耳に残るサウンドだらけという感じ。
忠実に再現された80年代のファッションとカルチャーも丁寧に作られていて違和感もない。むしろ、オシャレでスタイリッシュであるものの、どこか泥臭さを感じさせるのは、アイルランド風なのだろうか?
数千人の中からオーディションで選ばれた主人公は、演技しているようでしていない素朴な感じがはまっていた。こなれた演技で無かったあたりが、さらに物語にリアリティを感じさせるような気がする。
とにかく、80年代の懐かしい感じが、逆にスタイリッシュであり、なんだかワクワクしてしまう。

耳と心に残るサウンド
ジョン・カーニー監督作品の特徴は、やはり音楽の軽やかさにあると思う。
過去作二作とも、映画を観た後、OSTを聞きたくなるし、楽曲を聞く度に映画の世界に引き戻さるような感覚が湧いてしまう。ここが最も大好きな所だ。
映画の中で、心地よい音楽が流れ、物語全体の世界観をHappyに包み込む。
そして必ず、音楽が生まれる瞬間に、観客は胸躍らされワクワクしてしまう。
ドン底を生きるミュージシャンが息を吹き返し生き生きと歌い出し、色んな葛藤を昇華しきらめいていく。
まさに、キラメキという言葉がピッタリだ。
過去作でも心に残るメロディが生まれ、なんとも言えない爽快感を残したが本作も同様だった。高校生たちのセッションは、等身大でありながらもキラキラとしたキラメキを醸し出す。こんな風に、気持ちがワクワクする後味を残すあたりは、もはや、ジョン・カーニー節と言ってもよいだろう。

ドン底の主人公を支える理解者の存在
プロダクション・ノートを観ると、本作はミュージシャンだった監督の自叙伝的作品のようだ。
さらに、劇中に出てくる上のお兄さんも、実際の実兄を意識した人物描写になっているらしい。物語の中では、この兄の存在が非常に大きく、常に主人公の隣で良きアドバイザーになっている。
前作の“はじまりのうた”でも、監督の実兄が関わっていたらしいのだが、公開前に亡くなったのだという。つまり、前作も本作も、荒廃したアイルランドで寄り添って育った兄弟たちの回顧録であり、ジョン・カーニー監督の兄へのメッセージのようなイメージである。
過去作でも必ず出てくる、主人公を支える良き理解者の存在。
この存在が、物語全体を厚くやさしく包み込むあたりも、良い後味を残す理由である。
“ONCE”では、偶然知り合ったシングルマザーの女性が、”はじまりのうた”でも、偶然スカウトしてきた音楽プロデューサーが、それぞれ主人公の良き理解者となり、ラストまで支えていく。
一緒に苦しみ、一緒に音楽を生み出していく過程は、サクセス・ストーリーとなっていて、観る人の共感を生むところである。
本作の高校生たちも、自然発生的に集まった、実に様々な個性をもった仲間たちが音楽を生み出していく。最初はただのいじめられっ子であったとしても、仲間が集まれば自信がわき強くなっていくのである。
そこに今回は、兄という絶対的な肉親という理解者の存在が非常に大きかった。
特に、ラストシーンのお兄ちゃんと主人公のカラミでは、じんわりと涙を誘う。
心地よい後味
映画を観て、『気持ちいい』という後味は重要である。
ジョン・カーニー監督作品には、いつも、胸おどらせる爽快感を残してエンディングを迎えられる安心感がある。
裏切らないというか、安心できるというか。
その映画の世界観にのめり込めばのめり込むほど、ワクワクした気持ちが止まらなくなってしまう。
映画が好きで、毎日映画を観ているが、こういう気持ちを味わいたくて映画を観てしまう。
さらに、映画が好きな理由のもう1つに、ジョン・カーニーのように大好きな監督が数人いることも、とても大きい。これから先も、沢山の作品をみて、多くの監督に魅了されていくだろう。
大好きな監督には、この後も、沢山良い映画を世に出してもらいたい。切にねがう。
▼主題歌 Go Now (アダム・レヴィーン)
▼Sing Street – Drive It Like You Stole It (Official Video)
▼トレイラー
▼映画 オフィシャルサイト