終戦の日に思う。「人生は誰のものなのか?」〜映画『イントゥ・ザ・ワイルド』〜




昨日、日本は、戦後70年目の8月15日を迎えた。

それぞれが、日本の戦争、そして戦後を考える日であり、マスメディアでも多くの特番が組まれたり、ニュースが発信された。

 

そんな中、ある知識人のある新聞コラムが目についた。

その中の、ある一文が心に引っかかった。

以下、文中を部分引用。

(戦争体験を)語り継ぐのはむりだと思う。
本気で若い世代や子供たちに教えたかったら、平和の尊さを語ったり、平和を祈るコンサートをしたりする前に、戦いについて回った単純な体験を、若い世代にさせることだ。

戦争の時、多くの兵士や国民は、さまざまな目的のためにとにかく歩いた。
この追体験には、1日くらい全く食物なしで行進させたらいいのだ。歩きにくい土や砂利の凹凸の道を、暑さと寒さと飢えと戦いながら重い荷物を運べば、私たちの世代が死に絶えた後でも、戦いの追体験はできる。

 

なるほど。と思った。

もちろん、これらがどこまで実行できるかは微妙である。こんな体験をさせ、熱中症で子供が倒れてしまったら、それはそれで問題だし、物理的に実行することは困難だろう。

しかし、その考えとしては一理あると思ってしまう。

 

そんな時、ある1本の映画を思い出した。

映画『イントゥ・ザ・ワイルド』である。

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2007年のアメリカ映画で、ショーン・ペン監督作品である。ショーン・ペンが10年の歳月をかけて映画化したもので、『荒野へ』というノンフィクション小説が元になっている。

 

この映画、実に秀逸な映画で、これから先の人生の中でも、何度も観たくなる1本だし、大人になっていく過程で、若者たちが観たほうが良い映画の一つでもある。

 

物語は、何不自由なく高級住宅地で育ち、学業もスポーツ面でも優れた成績を残し、1990年の夏に有名大学を卒業した主人公が、自分を見つめるために、突然、旅に出るところから始まる。
名前を変え、お金や自分の持ち物をすべて捨て、何も持たずに新鮮ですばらしい経験をもとめて、アラスカに向かって、北アメリカを放浪するという生き方に身を投じた実話である。

映画自体は、ぜひ観てほしいと思うので、細かくは語らないが、とにかく考えさせられる映画である。

 

実際、観終わった後で、

今、ここに生きている私の人生はいったい、誰のものなのか?

と、問いかけずにいられなくなる。

 

今食べているもの、今観ているもの、今感じていることは、『自分の人生』と語っていいのだろうか?今自分が口にした言葉は、果たして『自分の言葉だろうか?』誰かが言っていた言葉の引用ではなかろうか?

 

そんな疑問がふつふつと湧き上がり、ほのかな恐怖さえ感じてしまう。

それだけ、私たちの周りには、情報が溢れ、ものが溢れ、誰かの人生と人生が交差するような煩雑でやかましい世界に住んでいることに、ハッと気づくのである。そして、それらが良いか悪いかなんて、考えることすらしない。それほど、自分以外の世界に鈍感で無感覚に生きているんだと、思い知らされるのである。

 

主人公のように、モノを捨て、人間関係を捨て、欲を捨て、既成概念を捨てた時に、自分は本当の意味で生きていけるのだろうか?そんなことをみぞおちの辺りでシクシクと考えさせられ、なんとも言えない思いにかられながら、エンドロールを観ることになる。

 

主人公が途中で気づいたものは何だったのか?

主人公の最後は、どんな旅で終えたのか?

 

この映画の結末を目を大きく見開いて、頭で考え、心で感じることで、明日の生き方が変わっていくように、目の前が大きく開けると思う。

 

人がモノを捨てたら、濃密な思考とシンプルな生命力だけが残る。
しかし、それを果たして選ぶ事ができるだろうか?
それぞれが、それぞれに考えることで、これからの世の中を、どんな風に作っていけば良いか?考えさせられるのは無いかと思う。



下記は、主人公である彼が選んだ言葉たちである。

 

幸福が現実となるのは、それを誰かと分ちあったときだ。

人生において必要なのは
実際の強さより強いと感じる心だ
一度は自分を試すこと
一度は太古の人間のような環境に身を置くこと
自分の頭と手しか頼れない
過酷な状況に一人で立ち向かうこと

 

私はこの映画をみて、人は他人と分かち合い、誰かを支えたり誰かに支えられながら生きている弱い存在である事を心底実感した。そして、自分一人の力で生きられないのであれば、現代を生きる人間として、その弱さを認めつつ、自分のできることを全力で生きていかなければ、生きてきた意味がないと実感した。

そして、次の時代を作ることを課せられている私たちが、何をすべきか考えるキッカケにもなるはずである。

 

ぜひ、機会があれば観ていただきたい1本です。

(参考:曽野綾子の透明な歳月の光,産経新聞,2015年8月12日,p7)