※これは、映画:FORMAレビューです。
気をつけて書いてはおりますが、一部ネタバレにつながる部分もありますのでご注意ください。
先日、1本の日本人新人女性監督の作品が、日本で封切りされた。
それが、映画“FORMA:フォルマ”。
数々の映画祭で賞賛された新人監督の作品だと聞いていたので、とても注目していた作品。是非とも劇場で観たいと思っていた映画だ。丁度、夏休みだったし、公開初日は監督の舞台挨拶つきということだったので、渋谷ユーロスペースに観に行ってきた。
坂本あゆみ監督は、熊本県出身。高校卒業後、映画監督をめざし上京。塚本晋也監督のところで映画を学び、照明技師として活躍していたそうだ。映像作家としてPVやドキュメンタリーを手がけてきたが、これが長編デビュー作。デビュー作にして、様々な国際映画祭で、高く評価された作品を世に出した天才新人監督だ。
生で見る坂本あゆみ監督は、とても小柄でかわいらしい。言われなければ、職業が映画監督だなんてイメージもできない。
そんな初々しくもあり頼もしい監督と、ダブル主演の女優2人と、脚本家の舞台挨拶のあいさつを終え、本編の上映が始まった。
フランス映画のような静けさ
本編を観る前に、何度か本作のトレイラーを観ていた。
でも、何回みても、どういう映画かは、全くイメージできなかった。
サスペンスと書いてあるが、トレイラーを観る限りではどんなサスペンスなのか見当もつかない。
そんな、全く前情報なしに、坂本監督の世界にゆだねてみた。
冒頭、静かなシーンがずっと続く。
静かで静かで、ゴクリという自分の喉の音さえも大きく聞こえる。そしてその静けさの中に、いつも何かの気配を感じる。恐らく、主人公の心の動揺とか、揺らぎのようなものだろう。比較的少ないセリフの中で、主人公の感情の気配だけが、ヒタヒタと漂うような構図である。
普通の映画なら、最初からBGMが流れるだろう。
主人公が明るい気持ちなら明るい音楽を、何かが起こりそうだと観客に思わせたければ意味深な音楽を。
しかし、本編では、BGMもなく静かに進んでいく。
聞こえてくるのは生活音。電車の音やストーブで湯気を立てるヤカンの音、味噌汁を温めなおす時にガスが点火する音、洋服が擦れる音。何もかもが、生活の中でありふれた音ばかり。そんな中で、主人公は何を考え、どんな事を思っているのか、想像しながら観ているのだが、生活音でそれを考えていると、自分もその映画の中に引き込まれるようだ。
また、無いのは音だけでない。
照明もない。
通常の映画なら、あたたかみのある場面ではぬくもりを感じる照明や明るい光をあてるだろうが、本作は常に彩度を抑えた冷たい色をしている。
だから、いつも、何かが起こりそうで不安になる。ぽっかり空いた冷たい空白の構図の部分に、何かが漂っているような、そんな恐ろしさがある。
坂本監督は、元々照明技師なのに、照明無しとはすごい挑戦である。ここにも坂本監督の覚悟のようなものが感じ取れるようだ。
また、BGMが無いだけでなく、突然の効果音もすごかった。シリアスな場面で、突然大きな音を立てて割れるコップの音。
通常なら、BGMで効果音を使うだろうが、そんなお膳立てはない。
こうして、こんな自然な生活音の中で、いつの間にか、観ている私たちは、映画の世界に引きずり込まれていくのである。
演じているのか分からない役者、溶け込む日常
また、BGMや照明が無い事以上に驚くのは、役者の演技だ。
もちろん台本はあるのだろうが、全くそれが見えてこない。
その場で、その時々に感じた言葉を、そのまま役者が口にしているようだ。それだけセリフ回しが自然で素晴らしかった。役になりきった、という次元を超えて、まさに彼らがその場で体験しているドキュメンタリーをみているようだ。通常、ドキュメンタリー風を演出するために、手持ちの手ブレ感のあるカメラで撮影したりするのだろうが、カメラ固定でもこんなにナチュラル感がでるなんて、なんと素晴らしいことかと思う。
終始、今どきのOLの言葉遣いである。
セリフとセリフの合間の演出も素晴らしかった。普通に、私たちが会話しているような空気感。セリフを読まされている感じが全くない。役者は演じているのか演じていないのかさえも分からなくなるようだ。
さらに素晴らしい演出は、通行人などの使い方。会話しているダブル主演の2人の画に、当たり前のようにかぶさる通行人。カフェで話す主人公達よりも、手前に座るエキストラのカップルの音声の方が大きいという演出。これが、普通の日常に生きているというリアリティの現れであり、あとでジワジワと効いてくる感じである。
日常の中に溶け込んでいることで、実際に「そこに存在する」という事を、観ている人達の脳に焼き付けられる。そして、どんどん進むサスペンス。自分が当事者だったら、逃げ出してしまいたくなるような状況に物語は進んでいくのである。
秀逸なキャラクター設定
様々な素晴らしさがある本作ではあるが、何よりも素晴らしいのがキャラクター設定だ。
ダブル主演の2人のキャラクターのみならず、脇を固める登場人物のキャラも、ものすごくしっかりしている。ストーリーを観ているというよりは、登場人物すべてのキャラクターを堪能している、と言っても過言ではないだろう。それぞれのキャラクターが起こした事件をサスペンスとして描く秀逸さは、本当にド肝を抜かれる。登場人物すべてのキャラクター合ってのストーリーなので、本作を見る時は、一人ひとりのキャラをしっかり咀嚼することが重要である。
中でも、ダブル主演の女優2人はものすごい。
私たちの日常で目にするような、ごく普通のOLなのに、そこで起こっている狂気に息を飲んでしまうほど。
いや、ごく当たり前の日常だからこそ、狂気のように恐ろしく見えるのである。
これが、これまで述べてきたリアリティの実現の賜であり、監督の戦略なのだ。
どのキャラクターも、「いる、いる、こういう感じの人。いる、いる」と頷きたくなる。
ネタバレになるので、細かいキャラクターは表現しないが、決して特別ではない人々の人間模様なのに、妙に納得させられるようなキャラクター設定が秀逸である。そして、それらを細かく表現させるための丁寧な演出。セリフとかナレーションなどに頼らない、描写だけのキャラクター説明は、本当に実力のある監督であることを如実に表している。
隠れたテーマ
とにかく静かで自然で、特別なお膳立てのない映画である。
苦手な人は全く受け入れられないだろう。
正直、ボーっと観てたら「なんなの?何が言いたいの?」って事になる。
しかし、表面的に見えるものは真実なのか?裏に隠れているものはなんなのか?そういうことを、秀逸なキャラクターの登場人物の、ナチュラルな演技の役者陣に身をゆだねて感じていくと、心の奥底に響いてくる物語だ。
映画のタイトルにもなっている、ラテン語の「FORMA」は「本質」という意味だそうだ。また、映画のキャッチになっている「145分のアンチテーゼ」からも観られるように、本当の真実や事実はなんだか分からない事はたくさんある。さらに、どれくらいの視野で見るかによっても見え方が違ってくるものである。そのモヤモヤ感自体が、私たちの日常であり、そこで生きているということを、画面イッパイで感じる映画であることは間違いない。
また、映画のフライヤーにもなっている変な画は、一瞬なんなのか分からなかった。
でも、映画を観終わって、その意味がどのカットから来ているのかということと、映画のテーマと直結していることに気がついた。なかなか、センスが有ると思う。ここも、観客に考えさせる事で、映画への充足感を感じさせる作戦だと思う。
あとこの映画のポイントは、その構図にも現れているように思う。
実際、画は主役2人の顔をほとんどとらえていない。
正面からのアップはほとんどなく、引いているか斜めか横顔しかとらえない。彼女たちの表情はいつも隠されたものであるとともに、昔親友だった2人は、再開した9年後、一度も向き合えていないという恐ろしさを秘めた構図であるように感じる。
そして、それが、ラストの謎解きの部分で、一気に襲い掛かってくるので恐ろしい。
ただ一つだけ、途中、見る側が迷子になってしまう箇所が一つあった。
通常なら、分かりやすくつなげるのが王道なのだろうが、あえて観客をとまどわせる見せ方は、ラストにつながっているため、あえての戦略だったのだな、と思う。ここも、脚本家と監督のセンスを大きく感じる部分だった。一瞬、よく分からなくなるが、後でちゃんと理解できるので、疑問にひっぱられないように安心して見進めてほしいと思う。(笑)
ここまでネタバレに注意しながらまとめてみたが、恐らく、どんな映画かよくわからないだろうと思う。(笑)
しかし、よくわからない感じにこそ、本質があり、心で感じて「映画を観た」という気持ちにさせるものだと思う。
衝撃的なデビュー作を世に送り出した坂本あゆみ監督は、これからも良い映画を撮っていくことだろう。
こういうセンスのある監督を心から応援したいと思うし、日本から世界に大きく羽ばたいてほしいと心から思う。そう思い、ブログにまとめてみた。興味がわいた方は、ぜひ劇場へ!