世の中は、当たり前じゃないものにあふれている。
家族がいること、母がいること。
家族をつくること、母になること。
これらは、当たり前に手に入るようにみえても、幾つもの奇跡を経て、ようやくたどり着けるものだ。なのに私たちは、慌ただしい日常を生きていると、これらが当たり前のようにみえてしまう。
だから時々、今ある幸せの感触と手触りを、客観視して確かめたくなるものなのだろう。
久保田利伸さんの歌の歌詞に、
幸せとはきづくもの つかむもんじゃない
https://www.youtube.com/watch?v=ES6ikiLTlvU
というフレーズがある。このフレーズが大好きで、時折り、フッと思い出す。
何が幸せかなんて、人それぞれだ。
決まった物差しなどはなく、自分が幸せだと気づけば、他人から見たらつまらなく見えるものだって大切な幸せだ。
そして、気がつけば、ふと気づく幸せなんて沢山ある。
お腹いっぱいで幸せ。
今日は休みで幸せ。
映画に感動して幸せ。
小さくても、自分自身の胸に響いた幸せは、渇いた日々に潤いをもたらし、それだけでキラキラと輝く。
世の中、当たり前のものなんてなくて、わたしの身の回りには多くの奇跡がもたらした幸せに満ち溢れているのかも知れない。ほんとうは、誰かの物差しと比べなくても、今あるものを少し角度を変えて見つめて見るだけで、明日に導く小さな光になるものなのかもしれない。
映画 『朝が来る』は河瀬直美監督の最新作。カンヌ国際映画祭公式選出作品【CANNES 2020】に選出された作品である。(※1)
あらすじはこうだ。
主人公夫婦は一度は子どもを持つことを諦めるが、特別養子縁組により男の子を迎え入れる。朝斗と名付けられた男の子との幸せな生活がスタートしてから6年後、朝斗の産みの母親「片倉ひかり」を名乗る女性から「子どもを返してほしいんです。それが駄目ならお金をください」という電話が突然かかってくる。当時14歳で出産した子を、清和と佐都子のもとへ養子に出すことになったひかりは、生まれた子どもへの手紙を佐都子に託す、心やさしい少女だった。しかし、訪ねて来たその若い女からは、6年前のひかりの面影をまったく感じることができなかった。その少女は何者なのか。
原作は辻村深月氏の長編ミステリ小説だ。
一見、あらすじだけを観ると、不妊症に悩む夫婦の葛藤と特別養子縁組や実母とのいざこざを描いた作品のように感じるかもしれない。原作未見の私も、最初はそう思った。しかし、映画は想像した内容とは大きく異なり、もっと奥深く繊細に、『命』と『人間の本能』というものを描いた作品であった。
本作のテーマは、
とても高貴なもので。
誰にも土足で踏み入れる事は許されない。人間の心の中で大切に守らなけれなければならない人間の尊厳でもあると思った。
あらすじにもあるように、本映画の登場人物は主に3人。
特別養子縁組で養子を迎えた育ての母、そして実子を養子に出すことになった実母、そして子供本人である。
それぞれの立場で、それぞれの心の中に欠けた空間がある。
自分の子を持つことが叶わなかった母。
自分の子を育てることができなかった母。
その間に存在する子供。
当たり前が当たり前じゃなかった3人が、
三者三様の叶わなかったものを抱えながらも、言葉にできない想いと一緒に、現実の生活で呼吸する。その姿は、観ている私たちの胸に覆いかぶさるように、後から後から涙が溢れてしまう。
彼ら彼女らの中に、表情の中に言葉にならない、感情の塊が明らかに存在するからである。
河瀬直美監督の作風でもある、ドキュメンタリータッチのシーンが、まるでそこで息づくリアルな家族のように、観ている側の感情を刺激するのだ。ここで体感する映画への没入感は、河瀬直美監督作品ならではの迫力によるもの、ほかならない。
本編通して、何度泣いたことだろう。
こうしてレビューを書きながらも、シーンを思い出して涙で視界が滲んでしまう。
原作の素晴らしさもそうなのだが、映画『朝が来る』という一本に仕上げた河瀬直美監督の力を存分に感じる作品で、心底、胸が震えてしまった。
河瀬直美監督の過去作を観ている人ならお分かりだろう。
河瀬監督の過去作でも、たびたび表現されてきた、森や緑の煌めき、木々に宿る生命の息遣い、そして生命の源とも言える海の懐の深さ。
人間の命につながる感触を感じさせる自然の輝きを物語に落とし込む作風は、本作でも秀逸で、主人公たちの心情を代弁するかのようにキラキラと瞬く。
私たちが何故生まれてきたのか。
私たちは、どうやって生まれここに存在するのか。
普段は、意識もしないだろう生命の誕生を、森が呼吸する息遣いとシンクロするかのごとく気づかせてくれる。生命の誕生とは、神秘的であり奇跡である。そんな奇跡を、この物語は、二人の母とその子を通して可視化してくれるのであった。
本作を観ていると、いつの間にか、深い森に降り注ぐ太陽の光に自分も吸い込まれてしまいそうだ。
愛し合い、子を宿し、子を産むこと。そして、この世にヒトとして誕生し生きていくこと。
これらすべてが、まばゆい自然の営みの一つであることに、胸が震えた。
映画『朝が来る』は、そのタイトルにもあるように、暗闇から開放してくれる朝の光を感じる映画である。
映画に描かれた暗闇は、胸にずしりと重たくのしかかる暗闇ではあるけれど、最後の最後に見える、小さな言葉に大きく救われる夜明けを感じさせる映画でもある。
使い回された言葉ではあるが、「明けない夜はない」というフレーズが脳裏によぎる。だけど、映画『朝が来る』の朝は、夜が明けてやってくるものではなかった。
むしろ、朝が向こうからやってきて、ようやく重たいカーテンが開いた感じ。
「希望」という言葉を白い画用紙に書いたのなら、きっと、こんな風景なのだろう。