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【映画レビュー】手を伸ばしても届かない距離で、一緒に歩く彼(ひと) 〜映画『好きだ、』で堪能する、昭和の高校生たちのノスタルジー

映画「好きだ、」

ちゃんとフラレなかった恋

中学の頃、一目惚れした彼が、わたしにとっての初恋だったと思う。

4月の入学式のあと、同じクラスになって出会い、秒で恋をした。

バスケットボールをしている彼は、めちゃめちゃイケメンで、綺麗な横顔にいつもトキメイていたのだが、彼は全くチャラチャラしていなくて、女子と話している姿をあまり見たことがないシャイな人だった。

中学の3年間、同じクラスだったから、なんとなく想いを告げたような気もするし、相手もわたしの気持ちを分かっていたような気もしたが、なんとなく近づききれないまま中学の3年間は終了。

高校では離れたものの、20歳の頃、東京で再会した。

再会当時の私は、まだ彼を好きだった気がする。

その時も、数回遊びに行ったりはしたものの、やはり自然消滅していった。

多くの女性の恋は、上書きタイプだ。
初恋だろうが、過去に大恋愛しようが、新しい相手と知り合えば、何事もなかったかのように前の彼(ひと)を忘れてしまう。

私もご多分に漏れず上書きタイプだ。

今では、すっかり顔も良く思い出せないほどに記憶の彼方に飛んでいった。しかしながら、当時を振り返ると、ほんの少しの後悔があることに気づく。

やはり、二度も好きになった相手には「ちゃんとフラレれば良かった」ということだ。

「フラれたかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
この中途半端な恋の結末は、たちが悪い。

大好きなラブストーリーの連ドラを毎週みていたのに、最終話だけ録画しそこねた感じ。そして、ダッシュでTSUTAYAに借りにいったのに、全話貸出中だった感じ。

今すぐ最終話が見たいのに、それが叶わず決着がつかない。

最後のページが綴じられないというのは、必要以上に恋の余韻を残しすぎる。だからわたしは、恋した相手にはちゃんとフラれた方が良いと思っている。

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すべてのカットがポートレートのような作品

石川寛監督の2005年の作品、映画『好きだ、』は、こんな私の初恋のように、17歳の頃に落とし物をしてきた気持ちを描いた作品である。

昔、レンタルビデオ屋さんでジャケ借りして鑑賞した作品だ。

初見のときから、大きく心を揺さぶられ、その後、4〜5回は観ている。

ついこの間、アマゾンプライムで「見放題が終わる作品」という所で見つけたので、またまた鑑賞。何回みても大好きな作品なのでレビューを書いてみたいと思う。

映画『好きだ、』のあらすじはこう。

あらすじ

宮崎あおい、西島秀俊、永作博美、瑛太を主演に迎え、ある男女の17年におよぶ愛の行方を繊細に綴る。現場では台本なし、キーワードだけが渡されるという独特の撮影方法で、俳優陣の自然な演技を導き出した。登場人物の息遣いが伝わってくるような透明感溢れる映像が際立つ本作は、2005年ニュー・モントリオール国際映画祭で最優秀監督賞を受賞。

石川寛監督は、CFディレクターとして活躍した監督で、2001年の長編第一作『tokyo.sora』で注目を集めた。CFディレクターなので、とにかく画の切り取り方が非常に美しいのが特徴だ。

本作品も、田舎の土手を歩く17歳の高校生(宮﨑あおい、瑛太)の二人のシーンは、どこを切り取っても画になる。

田舎の広い空。
風吹く土手。
青い水門。
自然の草花たち。

すべてが映画の小道具のようだ。すべて一から作ったものではないのに、あたかも、映画『好きだ、』のために、そこに存在しているかのようである。

すべてのカットの構図は計算され尽くされていて、すべてのシーンがポートレートのように美しい。

そして、そんな美しい画の中で、言葉にできない二人の感情だけが溢れ出す。あれこれと、余計なセリフがなくて、高校生二人の交差する不器用で純粋な想いだけが際立つ物語である。

説明いらずで、解説いらず。

その空間の中、主人公二人の気持ちに自分の気持を投影して物語を堪能する。

それが、映画『好きだ、』の素晴らしいところである。

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ノスタルジーを誘う昭和の高校生感

また、映画『好きだ、』が素晴らしい作品である理由の一つに、17歳の主人公「ユウ」役を演じた、女優 宮﨑あおいさんの芝居の秀逸さがあげられる。

とにかく、演技がすばらしく圧倒されてしまう。

2005年の作品であるので、現在の宮﨑あおいさんの年齢から計算すると、当時は19歳〜20歳くらいだ。実年齢よりも2〜3歳幼い役柄ではあるが、ノーメークにブレザーの制服、膝丈のスカートからのびる、細い足に履いた白いソックスがすこぶるまばゆい。

はにかむように口角をあげて笑う表情が、まるで、洗いたての柔らかな綿の肌触りのようだ。かとおもうと、時々、物憂げに遠くを見つめる物憂げな瞳も絶品である。

多くがアドリブのセリフで構成された映画なので、リアリティにあふれ、セリフのない沈黙までが色づいて見える。宮﨑あおいさんの圧倒的な存在感と、その役に溶け込む芝居のすばらしさは、20歳にして何かを悟ったかのようである。

そんな、高校生時代の宮﨑あおいさんと瑛太さんの二人の素朴な雰囲気に、懐かしい昭和の高校生たちの姿を思い出させる。そのノスタルジーにうっとりしてしまうのである。

メールも携帯もチャットもない時代に、なんとなく、学校帰りに土手で落ち合うふたり。

今なら、ちゃちゃっとLINEでMessageを送ってしまうのだろう。
映画『好きだ、』の二人は、なんとなくの時間の1秒を、まるで1分くらいの重たさで二人の時を過ごす。

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片手を伸ばしても届かない距離

映画『好きだ、』は、前半の17歳のシーンと、17年後の34歳のシーンで二つのシーンで構成されている。

前半の高校生の時代は、ほぼ、宮﨑あおいさんと瑛太さんのシーンで構成され、そのほとんどが田舎の土手のシーンで成り立っている。

田舎の土手には、ときおり風が吹き、その風に主人公「ユウ」の髪の毛と緑がたなびく。カエルの鳴き声と雨音が二人を包み、みあげると青い空と白い雲が、17歳の二人を見守るように広がっている。

高校生の二人の感情は、常に青く広い田舎の空に見守られている。

反面、後半の34歳のシーンでは、都会の雑踏の中で繰り広げられる。

都会の中では、ビルとビルの間からほんのりみえる、薄暗く狭い空しか見当たらない。そこにはカエルの鳴き声と雨音の変わりに、都会の生活音が鳴り響く。

前半では、片手を伸ばしても届かないほどの距離で歩いた二人が、狭い都会で狭いワンルームで距離をつめていくシーンが胸に沁みる。

後半の再会シーンでは、この距離感で二人が大人になったことを実感させられるのである。

都会の中で再開した二人の距離感と、17年前の高校生の頃の二人の距離感。

片手を伸ばしても届かない距離感で、土手を歩いた二人が、都会でどんな空を見上げるのかが見どころである。

記憶と、そこに取り残された想いは、時に必要以上に色づいて見える。

しかし、取り残された期間が長ければ長いほど、美化されながら、しだいに「想い」が「思い」に薄らぎ、そして「思い出」という別の形になって胸にしまわれていく。

でも、もしかしたら、この「思い出」に変わるまでの一瞬の間に起こる再会が、二人の関係を変えるかもしれない。でも、来るか来ないかわからない再会を待つことはできないだろう。

だからこそ、本当に運命的な再会が巡ってきたら、それは本当の意味の運命かもしれないのだ。

そしたら、ちゃんとフラレなかった恋の答えを見つけられるかもしれない。

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『好きだ、』という一言が言えない2人の17年間に及ぶ想いが再び絡み始める―宮﨑あおい、西島秀俊、永作博美、瑛太の4人を主演に迎え、ひと組の男女の17年にわたる愛の軌跡を詩情豊かに描いたセンチメンタル・ストーリー。17歳のユウは、いつも川辺でギターを弾いている同級生のヨースケに秘かな想いを寄せいていた。ヨースケが同じところばかり弾いていた為、いつのまにかユウもそのフレーズを覚えてしまった。しかし素直に想いを伝えられないユウ。一方ヨースケは、事故で大切な人を亡くしたユウの姉のことが気になっていた。やがてある哀しい出来事がそんなユウとヨースケを引き離す。それから17年、34歳のヨースケとユウは、東京で偶然再会するのだが…。

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