命がけの兄弟ゲンカ  〜映画『犬猿』にみる、一番近い やかましい他人


近くて、ほんのり遠いきょうだいという関係

本気で喧嘩をすると、自分の一番嫌なところが露わになる。
だから、喧嘩した後で冷静になると、さっきまでは頭にきてたはずなのに「なんて酷い言葉を発してしまったのだろう」とすこぶる落ち込んでしまうものだ。

親子喧嘩、夫婦喧嘩、兄弟喧嘩。
身内にまつわる喧嘩は、さまざまあるけれど、この中なら兄弟喧嘩が一番他人同士の喧嘩に近いのかもしれない。

親と子という関係は、常に扶養するもの扶養されるものという関係性になる。子供の頃は親が子を、高齢になれば介護という形で子が親を扶養することとなる。

また、夫婦の場合は一つの家庭を共に養うという共同義務が発生するから、本当の意味での対立は起こしようがない。どんなにいがみ合っても離婚という形をとらないかぎり、一つの家庭の中で協力しあわなければならないからだ。

だから、親子喧嘩も夫婦喧嘩も、どんなに激しい言い争いをしても、最終的には家族(家庭)という形の中に収まらずにはいられない。

しかし、兄弟・姉妹(きょうだい)というのは少し毛色が違う。
個々の自立に伴い自然と他人に近くなっていく。だから、各々が家庭をつくり、それぞれが社会に旅立っていくことで、それまで一つ屋根の下で暮らしていた兄弟・姉妹(きょうだい)は、だんだん他人に近づいていく。

しかしながら、兄弟・姉妹(きょうだい)というのは不思議なもので、親子のような扶養関係にあるわけでもなく、夫婦のような協力関係にあるわけでもないのだが、妙に色んな事が鼻についてしまうものだ。同じ環境で子供時代を過ごしたにも関わらず、微妙に好みや価値観が違ったり、人生のベクトルが大きく違ったりする。その違いが、どうしても理解しがたく、その所作がどうにもこうにも気になってしまう時がある。

兄、弟、姉、妹同士が、それぞれが持つ長所や境遇に嫉妬したり、逆に、そのいい加減さに無性に腹がたったり。これらの気持というのは、親に対するものでもなく配偶者に対するそれとも違う。

近くて、ほんのり遠い。
兄弟・姉妹(きょうだい)という他人は、訳もなく苛ついてしまう存在だからやっかいだ。


コメディとも言える吉田恵輔監督オリジナルの脚本

吉田恵輔監督の2018年の作品「犬猿」は、まさに、そんな感情をいやらしく、そしていじわるに描いたヒューマンドラマだ。ヒューマンドラマであるシリアスな側面をもちながら、終始、チグハグな兄弟・姉妹(きょうだい)達のこっけいなシーンに笑いが止まらない。

あらすじはこうだ。

<あらすじ>
印刷会社の営業マンとして働く真面目な青年・金山和成は、乱暴でトラブルばかり起こす兄・卓司の存在を恐れていた。そんな和成に思いを寄せる幾野由利亜は、容姿は悪いが仕事ができ、家業の印刷工場をテキパキと切り盛りしている。一方、由利亜の妹・真子は美人だけど要領が悪く、印刷工場を手伝いながら芸能活動に励んでいる。そんな相性の悪い2組の兄弟姉妹が、それまで互いに対して抱えてきた複雑な感情をついに爆発させる。

主役の和成役を窪田正孝さんが、その兄に新井浩文さん。由利亜役をお笑いコンビ「ニッチェ」の江上敬子さんが、その妹である真子役を筧美和子がそれぞれ演じた。

脚本は、吉田恵輔監督のオリジナルなのだが、よくもまあ、こんなに意地悪な脚本を面白く書き上げたなと思う。最初から最後まで、まったく集中力きれずに、兄弟・姉妹(きょうだい)たちの日常に吸い込まれる脚本だ。

この4人のコメディとも言えるかけあいが、お笑い番組のように面白い。時折、声を出して笑ってしまう場面もあるほど。吉田恵輔監督の作品は、常に笑いがついてくるが、この映画「犬猿」も例外なく、本当に面白かった。

とくに、ダブル主役とも言える「ニッチェ」の江上敬子さんの存在感は驚くばかりだった。彼女のキャラクターが大きく映画を引っ張っていく。たぶん、吉田恵輔監督自身が、一番江上敬子さんをいじって楽しんでたと思う。

吉田恵輔監督の大好きな路線の笑いが際立つ作品だ。


それでも最後はほんのりあたたかい

映画「犬猿」にでてくる、兄と弟、姉と妹は、それぞれ顔も性格も似てない。

そして、とにかく兄弟・姉妹(きょうだい)間の内なる対立がえげつないほど激しい。その姿は滑稽でありながらも、本質をついているから、妙に物語に引き込まれてしまう。しかしながら、「めんどくさい人たちだなぁ」と思いながらも、どこか既視感がある感覚に陥った。兄弟・姉妹(きょうだい)をもつ人なら、どこかで観たことのある光景なのかもしれない。すこしだけ胸が痛んだ。

ごく普通の、どこにでもあるような家庭の兄弟・姉妹(きょうだい)間のドラマは物語がクライマックスに進むにつれ、どんどん盛り上がっていく。

それは、嫉妬とか妬みとかを遥かに越え、まるでバナナの皮をむくかのごとく、人間が隠しておきたい、感情のあさましさがむき出しになるのであった。それが、まるで命がけで。

あっけにとられながらも、この他人事と思えない命がけの兄弟喧嘩から目が離せなくなる。「犬猿」は、誰もが隠しておいておきたい、人間の本質。一番近い、やかましい他人との自我のぶつかりあいなのであった。


こんな兄弟喧嘩を見せつけられ、みているこっち側は、冷静に客観的に見ながらも、前述したとおり、どこか既視感を感じるに違いない。幼少期から近くにいた自分に少し似た「きょうだい」という他人。

ぶつかり合っても、心が血だらけになっても、必ず兄弟・姉妹(きょうだい)は、その血を拭いてくれる。もしかしたら、それが「血縁」というつながりなのかもしれない。

それでも、最後はほんのり胸が暖かくなった。