バーニング 劇場版 レビュー 〜主役 ユ・アインの演技に魅了される148分 言葉にできない 心かき乱す余韻〜

バーニング 劇場版

役に憑依したユ・アインの魅力

映画俳優という職業は、なんと魅力的な職業なのか。
わたしは、グザヴィエ・ドラン(兼映画監督)とジェームズ・ディーンの演技を観ていると、毎回そう感じる。

彼らは、役者であるという事を忘れてしまうほどに役に同化してしまう。

それはまるで、究極のあて書きのようでもあり、もともとあった作品の中の主人公をのっとったかのようでもある。

結果、作品のなかで自由に羽ばたくリアリティを超えた彼らの魅力は、わたしを映画の世界に引き込んでやまない。だから、毎回スクリーンの中の彼らを、永遠に観ていたいと思ってしまうのだ。

そういう意味では、本作「バーニング 劇場版」のユ・アインも同じだった。グザヴィエ・ドランやジェームズ・ディーンと同じ魅力を、本作品の中の彼にも感じたのであった。

他の作品で演じているユ・アインを知っていれば、どれだけ役柄に同化しているかがわかるだろう。

本作『バーニング 劇場版』でのユ・アインは、普段の顔とまったく「別の顔」をしている。いや、顔だけじゃない。立ち姿や走り方、丸まった背中と肩のライン、自信なさげな瞳と傾いた首筋など、すべてが、素のユ・アインとはまったく別人格にみえた。

特に、ユ・アイン演じるジョンスの瞳だ。

どこにも力が入っていないのに、感情を表に出さずに悶々とする主人公ジョンスの心内を、見事に表現している。その瞳と主人公がおかれている立場が見事にシンクロし、ひとりでに物語ができあがっている。

おそらく、本作のユ・アインはユ・アインであってユ・アインではない、明らかにイ・チャンドン監督が撮った映画の主人公「ジョンス」であり、ユ・アインが憑依したジョンスだ。

このユ・アインを観るだけで、十分納得できる作品だったように思う。


わからなさが映画の余韻から離さない

『バーニング 劇場版』は、村上春樹さんの短編小説『納屋を焼く』が原作だという。

原作は読んでいないので、原作自体の世界観には踏み込めないが、物語全体がミステリータッチの文学的な作品であることは想像がついた。

とにかく、わからないことが多すぎる。

いわゆる「メタファー」だということは、なんとなく分かったが、ミステリーを解こうとすればするほど、わからない所でとまってしまい、いろんな事を妄想してしまった。

特に、井戸と猫と化粧とビニールハウス。
いや、すべてが話の筋にもあたる部分なのに、何一つ謎が解けない。
たぶん、観た人が「こうかもしれない」「ああかもしれない」、そんな事をめぐらせながら、いつまでもいつまでも、この作品を思い巡らせてしまう所に作品の魅力があるのではないかとさえ思ってしまった。

つまりは、あらゆるメタファーを映画の完結で解かせない。

これが、監督、イ・チャンドンの映画づくりなのであろう。
でも、こんなに謎が解けないのに、148分間を退屈にさせない所に映画づくりの上手さがある。


格差社会とヘミのマジックアワーのダンス

イ・チャンドン監督の過去作である「オアシス」は、社会から取り残された二人(重度脳性麻痺と刑務所から出所した青年)の二つの孤独が擦り合わさったラブストーリーだった。冷たく生きにくい社会の中で、二人の狭い空間だけは暖かい。そんな映画だった。

イ・チャンドン監督の作品は、そんなガサついた社会を浮き彫りにする。ガサついた社会の中で生きている主人公たちの、普通の息遣いが、どうにもこうにも胸につかえて、そして圧倒的な残像を残すのがイ・チャンドン作品だ。

本作『バーニング 劇場版』もまた、若者たちを取り巻く格差社会が主人公たちをかき乱す。「オアシス」と同じような、ガサついた余韻を残してくれる。

本作は、ほぼ3人のみの登場人物で成り立っている映画だ。

働いていないのに、なぜか高級マンションで高級車をのりまわす都会のベン。
貧しい農村部で生活のために牛を売る主人公 ジョンス。
ほんの数分しか陽のあたらない散らかった部屋にすみ、アルバイトで生活をするヘミ。

同じ豊かな社会下であっても、こんなにも違う境遇で生きている同世代の3人が、同じ空間で交わる。その会話の中は、さほど意味が無いようにも見えるし、何か社会の縮図をみせられているような重みもある。

この空間の伏線が、衝撃のラストを迎えるわけだが、この3人の関係性を象徴するマジックアワーのヘミのダンスが強烈に美しかった。

社会的な豊かさと格差など、さほどの意味をもたないがのごとく、夕陽をあびたシルエットが美しく、物語の前半と後半をつなぐ、すばらしい演出であった。

マジックアワー越しのヘミのダンスと格差社会。
文学的な演出の中に、しっかりと社会派メッセージが散りばめられている所がすばらしい。


何度も何度も反芻する映画

果たして、『バーニング 劇場版』はミステリーなのか恋愛映画なのか、社会派サスペンスなのか、どのジャンルに入るのか正直わからない。

フィクションであるのに、ノンフィクションであるような気もしてくる。

そして、すべてが現実で起こった事であれば、とてつもなく残酷だし、すべてが幻想だったとしたら、それはそれで、ひどくうなされるような最悪の白昼夢だ。
おそらく、全体がわからなくても良い映画なのだろう。

しかし、何かを知りたくて、何度も何度も反芻する映画である事は間違いない。

世の中が不条理であればあるほど、小さな韓国の田舎町で生きる主人公ジョンスのうつろな瞳に吸い込まれるように、このミステリーの世界を反芻するに違いない。