石巻市立湊小学校避難所




避難所にボランティアの方々の美しい歌声が響く。
♫ わーすーれがーたきー  ふるさとー
「ふるさと」のコーラスは、避難所を包み込む。

 

それを遠くから見つめ呟く女性。

 

『何様になった気なのさ。
ふるさとなんて、故郷がある人が歌う歌なのよ。

私たちの故郷はここ。瓦礫の中。』

 

ちょっとトゲトゲしいその声と表情は、明らかに苛立っている。

 

映画の冒頭。
ほんの数分で私は、心をグサッとえぐられた感情を覚えた。

この映画は“石巻市立湊小学校避難所”。

ドキュメンタリー映像を編集し、一本の映画にした作品だ。
監督は藤川佳三監督。

ドキュメンタリー映像を繋いでいるため、映し出された映像に嘘偽りがない。
もちろん、セリフも無ければ演技指導ない。
生のままの被災された人々の姿が映し出されていた。



登場人物は複数名。
その人の被災状況やバックグラウンドの説明もない。
ナレーションもなければBGMもないのだ。

 

ただただ、いつも通りの避難所の朝から朝まで。

 

ナレーションが無いため、自分でストーリーを紡いで行くしか無い。
感じたままを、自分の感性で紡ぎ観ていく。

 

私は、この映画を身終えて感じた事がいくつかある。

一つは、通常、テレビだったらカットするだろう避難者の生の声が編集されずにそのまま映し出されていたため、現場を知らない私たちにとっては、実に衝撃的でもある。カットされるだろうというからといって、悲惨な映像という訳ではない。ただただ、粛々と淡々とした避難者の本音の心だ。

 

あともう一つ、底抜けに明るい人達の、その明るさが苦しくなる。笑顔の中に押し殺された感情は、全くといって私たちには理解できないだろう。自分の無力さや想像力の浅はかさを思い知らされる。

 

そして最後は、監督と被災者の信頼関係の強さだ。避難所の中まで入って映像をとらせていただいたばかりか、本音に近い事をカメラの前で淡々と話してくれている。信頼関係が無ければ、決して許されないことだろうと思った。

 

まるで、家庭用のハンディカメラを回しているようなカットの組み合わせなのに、一緒に寄り添った監督が伝えたかった事が、映像を通して伝わってくるようだ。フィクションでは、決して得られない衝撃が、私の心を駆け抜けたのだった。



ストーリーの中の登場人物の中でも、キーになる二人がいる。70歳の愛ちゃんと10歳のゆきなちゃん。家族のいない愛ちゃんとゆきなちゃんの触れ合いは、孤独の中の一筋の光のようで、胸が痛かった。

 

映像を見ていると、愛ちゃんもゆきなちゃんもどちらの心も心配だった。今、どんな思いで丸2年を迎えたのだろうか?二人の表情は、全く別のもののようにも見え、全く同じようにも見えたのだ。

 

観た人は気付いたかわからないが、私はもう一つ気になった事があった。

 

70歳の愛ちゃんはマスクをはずさない。
避難所では、感染予防もあってつけていたのだろうが、いつも鼻を出してつけていた。
マスクは、予防のためにつけているのではないような気がした。

現に、避難所をでで、一人で仮設住宅に入ってからもマスクを外さない。
外に外出して、人とおしゃべりする時もはずさない。
いつものように鼻だけだして口元をマスクで隠している。

 

私はそのマスクは、愛ちゃんの心なのでは無いかと感じた。どこか閉鎖的で心を開かない。でも、どこかで心を開いて自分のほんとうの心を見せたい。でも、それはしたくない。それが、鼻だけでたマスクなんじゃないかと思った。

最後の最後まで、愛ちゃんの心が心配だった。

底抜けに明るすぎるからだ。

 

私はこの映画をWOWOWで観た。
最後に、実は、それをすごく後悔した。



お金を払って、映画館で観るべきだった。
あそこまで表現してくださった、湊小学校避難所の皆さんに失礼のような気がしたからだ。

どう考えても、映画館で観るべき映画だったと思う。

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