(この記事には、一部ネタバレの情報が入っております)
エンドロールが終わるまで、場内の人々は誰一人席を立たなかった。
魂が覆いかぶさってくるような圧迫感と、泣きつかれた私の瞼は重く、場内の灯りがついて、ようやく現実に引き戻されたようで、ハッとした。
昨日、3.11の震災に関連する実話に基づく映画、遺体 〜明日への十日間〜を観て来た。
予告の時点から、きっと涙無しでは見られないと覚悟はしていたが、映画の中盤くらいからは、休む暇なく涙がこぼれる映画だった。
映画は、釜石の遺体安置所の10日間の事実を役者さんで映像化したもの。
ドキュメンタリーではないので、実際の役は役者さんが演じている。
実話と聞かされていても、そこで描かれている光景は実話とは思い難い非日常の光景だ。
映画の中では、津波のシーンも瓦礫が積み上がったシーンも一切ない。
最初の地震のシーンも字幕だけで描いているため、その部分は、すでに自分が持っている映像を当てはめて想像しながらみていく。
次から次へと運ばれてくる震災で亡くなった方のご遺体を、人としての尊厳を守りつつ、残された人々が、明日の一歩を踏み出せるように送り出す安置所の人々の姿は、きっと、この映像では表現できないほど過酷で壮絶だったに違いない。
それでも、映像化された映画を通して、
私たちは、共感し、心を震わせ、何かを学ばなければならない。
突然の大災害で、極限の精神状態にいるなか、なんとか生かされた人々が、ご遺体の人としての尊厳を保とうとする姿は、人間という高等動物である事を、再認識させてくれた。
また、映画の中で、主役の西田敏行さんが、
“昔、葬儀社で働いていた頃、1人で亡くなっていく老人を
沢山、見送った。誰にも看取られず、誰にも送ってもらえないとは
すごく寂しいことだ。 ”
というようなセリフがある。
震災という巨大災害で次々と運ばれてくるご遺体は、大切な家族と最後のお別れを言えずにこの世を去った方々だ。
しかし、現実では、誰にも看取られずひっそりと亡くなっていく人も大勢いるという。
本当は、今この瞬間を生きている私たちに課せられた事は数多くあるのだ。
いつも忘れがちで置いてきぼりになる「当たり前」の風景を、大切に大切に今日を生きていく事が、大きな使命であるのだから。
実は、この映画をみて、3.11の震災が、自分の中で遠くなっていたことに気づかされた。
あぁ、そうだった、この感覚だ。
あの時、何が起こっているのかわからないまま、夜中までテレビを消せなかった事を思い出した。
恐怖というのか、不安というのか、なんとも言えない騒ついた心が、あっという間に蘇ってきた。
震災で亡くなった方は、19,000人あまり。
映画でクローズアップされ、涙がこぼれたご遺体は数名だ。
これの19,000倍の涙がこの2年間で流れたかと思うと、今、生かされれている自分の存在の意味を確かめなければならないと強く感じた。
※この映画の収益は、全額被災地の復興に使われるそうです。映画を観るか悩んでいる方の参考になるようにと思い、ブログにレビューをまとめてみました。