時に、残酷な事件が世を賑わす。
そのたびに、人々は悲しみに暮れ、その理不尽さに憂い、やり場のない怒りを握りしめながら、いつしか時間が風化し過ぎ去るのを待っている。
人間が人間たる所以は、自分以外の名も知らぬ誰かに共感したり心を寄せたりする事ができるところにある。それを人は、思いやりと呼んだりして、かすかな暖かさに触れることで、なんとか違う価値観の者同士の社会の荒波を共存していくのである。
罪を憎んで人を憎まず。
そんな言葉もあるが、実際は簡単に折り合いをつけることはできない。
怒りや憎しみ、悲しみや哀愁は、人それぞれ閾値は異なるものの、ある一定の熱量をもって、悲しい事件や残酷な事件で胸を痛めるのだから。
さて、JOKERはどうか?
彼を人はどう思うのか?
どう感じるのか?
どう落とし所を見つけるのか?
すごく危険である。
JOKERの前では、社会に担保された『安全』という価値観さえも覆すような、そんな危うさを感じる。
肯定も否定もできない。正義とも悪ともいえない。今まさに、我々が持ち得ている価値観を危うくさせ概念すら変えてしまう、そんな危うさは私達の尊厳をも脅かす。
猛毒である。