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【映画レビュー】戦争映画25選(11〜25) 〜戦争を考える〜

先日書いた、10選に続き、残り15選のラインナップです。こちらもどうぞ、御覧ください。


アメリカン・スナイパー

米軍史上最多160人を射殺した、伝説のスナイパーの半生を描いた、衝撃の実話。ブラッドリー・クーパーがスナイパーの役を演じている。監督はクリント・イーストウッド。

クリント・イーストウッド監督は、『戦争を美しく語るものを信用するな。 彼らは決まって戦場に行かなかった者なのだから。』と語っていた事を思い出しながら観ると、本作で監督が表現したかった戦争の輪郭が見えてくる。

戦場で、沢山の相手兵を射殺したスナイパーはヒーローなのか?

全編通して、その「HERO(ヒーロー)」という言葉は虚しく辛く、主人公である帰還兵を苦しめていく。国を守るために闘った兵士たちには深い敬意を払いつつも、デリケートなテーマを繊細に扱い、分かりやすく描いた良作。

アメリカン・スナイパー

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不屈の男 アンブロークン

本作、『アンブロークン』(アンジェリーナ・ジョリー監督)は、米国公開当時、半日映画だというレッテルを貼られ、日本公開を反対する署名運動が行われたため、日本では劇場公開できなかった作品であった。しかし、米国では逆に、『アメリカを美化しすぎだ』とマイナスの評価をうけてしまい、名だたる賞レースにほとんどノミネートされなかったようだ。

物語は、第二次世界大戦中に様々な困難に出くわしながらも生き抜いた、陸上のオリンピック選手のお話。ひたすら過激な描写が続くが、監督であるアンジーには、ある一定の配慮が見られた。

戦争という非人道的な行為の中で、敵を倒すため兵士は血や汗を流す。結果を上げている兵士の姿をみて、国民は感謝もするし賞賛もするだろう。ならば、戦場ではなく捕虜となった兵士が流す血や汗はどう見えるのだろう。

恐らく、それらは人びとの記憶にさほど残らず、多くを語り継がれる事はない。どの国にとっても恥部であるからである。しかし、その矛盾とあいまいさに光をあえることこそ、絶対に戦争はしたくないという完全なる反戦映画となる。

不屈の男 アンブロークン

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ジョニーは戦場へ行った

強烈な反戦メッセージ。

作品の肌触りも後味も強烈に悪く、なんとも言えない気持ち悪さにさいなまれる。残酷なシーンも過激なシーンも全く無いのに、人間としての存在を脅かされるような恐怖感。

戦争で負傷し両腕と両足、顔面を失ったが、意識だけが清明なジョーの意識下の物語。

負傷した現在をモノクロで。
回想シーンと想像シーンをカラーで。
20歳のジョーが、あどけない表情であればあるほど残酷。

ジョニーは戦場へ行った

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ローン・サバイバー

ネイビー・シールズの『レッド・ウィング作戦』(実話)を描いた、米軍とタリバンとの戦争映画。「ブラックホーク・ダウン」や「プライベート・ライアン」等と同じくらいの迫力が感じられる。

ネイビーシールズの隊員4名が、ある出来事がきっかけで、タリバン陣内で窮地にさらされる。岩から滑落しながらの銃撃戦のリアリティがすごい。

4名の隊員が孤立無援になってしまうキッカケになった出来事や、最後に、運良く助けだされる隊員の命運を分けた出来事には、戦争を回避することのできる唯一のメッセージが含まれている。平和というのは、努力しないと手に入れることのできないものなのだ、と身ぶるいするほどの恐怖も感じてしまう。

ローン・サバイバー

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プライベート・ライアン

もう15年も前の映画なのか….と驚くほどに、その映画の品質は鮮やか。170分という長い映画なのに、シナリオが飽きさせないのと、冒頭30分をはじめ戦闘シーンのリアルさがすごすぎる。さすが、スピルバーグ監督作品。

人を殺すのも辛い、人を殺さないのも辛い。何のために闘っているのかさえ分からない。戦争のその先に、何があるのかさえも見失う。それが戦争なのだが、本作品はシナリオ全体が、押し付けがましくなく戦争を描いている作品で、何度も何度も繰り返し見てしまう映画の1本。

プライベート・ライアン



顔のないヒトラーたち

ヒトラー率いるナチスによるホロコースト(ジェノサイド)。
本作は、ドイツという国の恥部とも言えるだろう、暗い歴史に真っ向から向き合った、若き検事たちの実話を基にした社会派作品。

戦争を知らない20代の若き検事が、アウシュビッツで蛮行を行った人達を、改めて裁きにかけるため奔走していくお話。

自国の闇は自国で裁く。

一度は線を引いた歴史の賠償に、新たにメスを入れるとは、勇気がいったろう。しかし、それを成し遂げたからこそ、今の信頼されるドイツがあるのだろう。これもまた、歴史を作るという事の一つ。

顔のないヒトラーたち

ヒトラーの忘れもの

物語は、終戦直後のデンマーク。海岸沿いに埋められた無数の地雷の撤去作業に、敗残ドイツ軍の少年兵が動員される。ナチスドイツがデンマークから撤退した後に残った、砂浜一杯の地雷。それをドイツ人の少年兵に撤去させる、というお話。

『自国が蒔いた兵器なんだから、その国民が責任を持って回収しろ。それがたとえ、幼い少年であっても関係ない。』という事だ。

そういった状況下で、『善』と『悪』が複雑に混ざり合い、観る側を混乱させる戦争のお話。実話を元にされていて、実際に地雷を撤去した少年兵の数と、その作業で亡くなった少年の数を知り、背筋が凍る。

地雷の撤去シーンの緊迫感、少年とデンマークの軍曹の距離感、ナショナリズムと反戦へのメッセージ。全てのバランスのとれた良作。

ヒトラーの忘れもの

夜と霧

ナチスによるホロコーストの舞台となったアウシュヴィッツの収容所。

ここで実際に起きていたことは、今を生きる私たちは、歴史の一幕として、活字などの記録でしか知るすべはない。たとえそれらが、目を覆うような残酷なものであったとしても、『昔あった記録』として頭が処理し、現実と非現実の間を漂うくらいしか、我々には受け入れがたいのかもしれない。

しかし、ドキュメンタリー映画『夜と霧』は、それを許さない。『映像は、そこであったことを伝えきれるか』という点では、真正面から向き合った30分間のドキュメンタリー映像であろう。

正直、中盤くらいから、気分が悪くなってしまった。

そこで起きていることが、フィクションではないという衝撃に、心がついていけない。ブルトーザーで押し出される死体の山を、実際に起こったこととして受け入れきれないのである。目をそむけられない、その映像に、私たちがこれから伝えるべき、考えるべき事が、全てつまったドキュメンタリー映画。


ダンケルク

戦争映画は数々あれど、様々なメッセージ性があるものから、その場の臨場感をひたすら追体験するようなものまで、幅広い作品がこの世に出ている昨今。

この時代に、実話をベースにしたクリストファー・ノーラン作品が醸し出す作品の質感は、想定されていたとしても、素晴らしいものがある。

『ダンケルク』は、1940年、フランス北端の海辺の町ダンケルクに追いつめられた英仏40万の兵士たちが、祖国である英国に帰還するという実話を基にした映画。とかく、戦争映画となると反戦メッセージを含んだ作品になりがちだが、本作は、あえて、そういったメッセージよりも、『ダンケルク』で起きた兵士達の帰還へのサバイバル描写を優先し、臨場感溢れる映画手法で、見事に表現したもの。

ダンケルク

クロッシング・ウォー 決断の瞬間

ドイツ連邦軍によるアフガニスタン駐留の戦争ドラマ。

地元の自警団と共に、人々をタリバンから守るという目的でアフガニスタンに向かったドイツ人兵士のさまざまな現実や自身の限界を描いた映画。

民族や文化の違い、価値観の違い、思想・哲学の違い。自警団と共に村を守るドイツ兵の苦悩が、よく伝わってくる。

なんとも虚しさの残るラストではあるが、安保法制などで混乱した日本国内。私たち日本人も、観て考えさせられる映画だと思う。

クロッシング・ウォー 決断の瞬間


サラの鍵

ナチス占領下のパリで行われたユダヤ人迫害、ヴェルディヴ事件を題材にした映画。レビューサイトでも高い評価だったが、実際に、とてもいい映画だった。

ユダヤ人の迫害、アウシュビッツ、残酷な歴史を、過去と現在で行き来しながら、主人公がユダヤ人の少女「サラ」の生涯を追っていく姿が、無理なく自然で、すごく感情移入できる。

子役の少女の演技がすばらしく、クローゼットに鍵をかけ、隠して収容された後で、弟を探しに行ったところは鳥肌が立った。

映画冒頭の、強制収容されるシーンの臨場感や迫力が、映画の最後まで余韻として残る。だからこそ、ラストシーンが生きてくる感じ。「運命」とか「時代」とか、そういう言葉だけでは、折り合いがつかない虚しさと切なさ。少女たちが生きた時代を知ること、そして繋いでいくために、残されたものがしなければならないこと、そんな事を悶々と考えさせられる。
ホロコースト映画としては、観やすい良作だと思う。

サラの鍵

キリング・フィールド

ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞した記者の体験に基づく実話。

カンボジアの内戦からポル・ポト率いるクメール・ルージュの大量虐殺。

帰る家のない死体の山と、自分の体とおなじくらいの大きさの銃を構える幼子。画面から伝わるキリングフィールド(虐殺の野)に心底考えさせられる。「幸せ」という言葉の意味を知るためには「不幸」を知らなければならない。なんと残酷な事だろうか。

今もこの瞬間も繰り返されている世界の戦闘に無関心に平和を享受している事への罪悪感を感じてしまう。最後に流れるイマジンは、胸を熱くさせる。

キリング・フィールド

フルメタル・ジャケット

スタンリー・キューブリック監督作品。とにかくセリフから漂う極限状態に圧倒される。前半部分と後半部分では、場面は違ってもどちらも同じ狂気を感じる。場面の迫力と音楽の被せ方が、なんか残像として残る。

何と戦っているのか見失いながらも戦場で生きていく。

説教くささもなく、陰湿な暗さもなかったが、目をそらしていきたい部分を赤裸々に突きつけられた感があり、全てに圧倒される。

フルメタル・ジャケット

灰の記憶

アウシュビッツを扱った作品としては、『夜と霧』、『ショア』、『サウルの息子』と並んで、必ず観たほうが作品。

アウシュビッツ収容所の話を観るたびに思うが、この歴史の一つに、何かを語ろうとすると、全て薄っぺらくなってしまう。

だから、あれこれ、何かを語ろうとも思わないし、何かを語るべきだとも思わない。ただ、ここで起こった悲劇は、わたしたちと同じ人間が刻んだ歴史であることと、時代を生きる人間の価値観や概念は、その時代を生きる人々が作っていくのだということだ。

傲慢に生きることなく、歴史から学び取る努力をしなければならない。

灰の記憶

ラトーン

ベトナム戦争での自身の経験に基づいた、オリヴァー・ストーン監督の戦争映画。劇場で観たことが無いが、劇場で観たら、生々しい緊迫した戦争描写におそらく吐き気がしそうな気がする。

誰と闘っているのか解らない戦争自体の虚しさと、アメリカの恥部とも言える残虐な行為も、つまびらかに表現しているところは、すごいものがある。全体通して自虐的な印象さえ感じてしまう。

ひたすら、その場で起こった生々しい惨事に感情を移入させ、観ている側が、その虚しさまでもシェアできるような徹底した戦争描写にこだわった所が素晴らしい。とことん自虐的で、ただただ、胸に銃を突きつけられた気分になる、シンプルなのに吐き気がするほど残酷なベトナム戦争の真実。

プラトーン
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