2番じゃだめなんですか? 〜映画『ファースト・マン』〜人類史上初めて月面着陸した船長の素顔 




デイミアン・チャゼル監督最新作、『ファースト・マン』

先日、デイミアン・チャゼル監督の最新作、『ファースト・マン』をIMAXで観賞してきた。

デイミアン・チャゼル監督の映画の好きなところは、物語に音楽が溢れ出す質感を感じるところだ。

過去作の「セッション」も「ラ・ラ・ランド」も、ジャズへの深い愛情をもつ監督ならではの世界観が、スクリーンとスピーカーを通じ、観ているこちら側のハートに響き渡る。

今回のデイミアン・チャゼル監督の新作「ファースト・マン」は上記2作とは異なり、実話を元にした物語であり、今回は脚本を監督が書いていない所が大きく異なる。エンタメに徹した前作2本とは毛色が違い、人類史上はじめて月に降り立った、ニール・アームストロングの人間性に焦点をあてたヒューマンドラマとなった。

作品はほぼ、自叙伝に近い描き方になっており、ニール・アームストロングが月に降り立った歴史的な経緯を描くというよりも、一人の人間としてのニール・アームストロング自身の心や人間性に焦点をあてた作品なので、歴史的経過はザックリ描く半面で、ニールの精神面の描写を丁寧になぞっている。

ニール・アームストロング役には、ラ・ラ・ランド以来の2度目のタッグであるライアン・ゴズリング。

彼の過去作をひもどくと、どちらかというと、ラフな役どころを演じこなすライアンだが、今回は宇宙飛行士という、あらゆる面での能力を持ち合わせる職業の実在の人物を演じこなした。

本作「ファースト・マン」は、全編通して、ひたすらニール役のライアン・ゴズリングの憂鬱な表情が続く。これまであまり描かれなかった、当時の彼の苦悩や憂鬱を、セリフは少ないものの、彼の表情やしぐさと、周りの人間関係の関わりを通じて表現されている。

また、本作は3種類のカメラを使い分けて撮影されたと、なにかの記事で読んだ。家族のドラマシーンは16mmのフィルムで撮影されているようで、実際には、そのレトロ感と、家族のアットホーム感や柔らかさが存分にでていて、とても良かった。

そして、これらのカメラ使いにあわせて、絶妙な音楽が流れ出す。

過去作の2作同様、音楽の使い方がすばらしく、映画全体から音楽が流れ出すような、違った意味でデイミアン・チャゼル監督の映画づくりに感動をおぼえた。



人類として初めて月に落り立つ。

しかし、そんな偉業をなしとげた伝説のニール・アームストロング船長の人物像は、あまりにも普通で平凡で、質素でクールだ。帰還後のフィーバーとは裏腹に、当時の彼の自叙伝を観てしまうと、どんなにか苦悩があったことだろうと思う。

月から帰還したニールは、世界中のフィーバーに飲み込まれ、月から生還したヒーローと賛美されつづけた。

しかし、『ヒーロー』という言葉は、彼の自叙伝を観た後では、あまりにも軽薄であまりにも残酷である。そんな思いを馳せてしまう。きっと帰還後も、複雑な思いで残りの人生を過ごしたことだろう。それを思うと、じんわりと涙がでてしまう。

ニール・アームストロング船長という、彼を取り囲んだ環境に思いを馳せ、ヒーローという言葉の裏に隠された事実を、映画をとおして噛みしめる事で、歴史や事象を違う光があたり、新しい価値観を生み出すことになった映画だと思う。とてもクールで素晴らしい作品だった。

かつて、ある政治家の発言で『2番じゃダメなんですか?』という言葉が有名になった。2番じゃダメなのか、1番じゃないとダメなのか。まさに、この言葉は、政治がかかわるグローバル世界での、国と国とのせめぎあいが垣間見られる流行語であった。

しかし、『2番じゃダメだったのか』とは、とてもニール・アームストロング達には聞けない。当然のことながら、宇宙開発が我々の生活にどんな影響を与えるのか、人類が月に着陸して、どんな意味があったのか、正直、ピンとこない部分が沢山ある。それは事実である。

しかし、命をかけて40万人以上の人々が達し得た過酷な取り組みは、何もしなかった我々には軽薄な言葉を吐くことはできないであろう。

人類史上はじめての月面着陸は、衝撃的な事実として残り、50年たった今でも、ニール・アームストロング船長の名前は、誰もが知る固有名詞となった。

そこにどんな価値があり、どんな意味があるのかを深く考えさせないくらいに、ニール・アームストロングの名前は世界中に響き渡る。

だけど、私達はこの映画を通じて、最後に残るのは、彼の憂鬱な表情である。デイミアン・チャゼル監督が伝えかったのだろう、最後のシーンがとても印象的な映画であった。