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【映画レビュー】映画『ホリディ:The Holiday』〜働く大人の女性のための 疲れた頭と心を癒やす大人のラブコメ〜

映画の世界で凛と煌く女性監督(ナンシー・マイヤーズ)

自分のメンタルの状態を選ばない映画というものがある。
どんなに疲れていても、どんなに気分が沈んでいても、この映画を見れば心が緩む映画だ。

私の好みで言えば、『ビフォア・サンライズ』とか『ビフォア・サンセット』とか、『世界にひとつのプレイブック』とか『マイ・ブルーベリー・ナイツ』などである。これらは、深く考えこむこと無くサラリと観られるのに、心にじんわりと温かいものが流れ込む作品達だ。

そんな私のお気に入りの映画の一つ。
ナンシー・マイヤーズ監督の『ホリディ:The Holiday』クリスマスが舞台なのに、春夏秋冬問わず観られる。
真夏の暑い日だって、このクリスマス映画を観てほんわかとした気持ちに包まれる。

そう、完全に自分のツボに入ってしまったお気に入り映画なのである。

ナンシー・マイヤーズ監督といえば、最近ではアン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロが共演した『マイ・インターン』が話題になった。あの作品もこの作品も、いずれも『働く女性』が主人公。

ナンシー・マイヤーズ監督は映画監督であり、脚本家であり、映画プロデューサー。脚本を書く監督ならではなのだろう、ラブコメであってもシナリオがしっかりしている。シナリオを通して、登場人物のパーソナリティが良く伝わってくる作品が多い。(過去作の『恋愛適齢期』などもしかり。)

また、登場人物の女性たちが、皆しっかりと自立している所も小気味良い。登場人物の職業が編集者や脚本家など物書きが多いことも、監督の職業が影響しているのかもしれない。

そういう意味でも、日本の女性監督でいったら、どことなく西川美和監督のような雰囲気がする。
彼女の作品も、個人的には大好きなものが多く、最新作の『永い言い訳』は、心に沁みる良作であった。日本の女性監督の中でも実力派の監督であることは皆が認めるところだ。

ナンシー・マイヤーズ監督も西川美和監督も、一人の女性として映画の世界で凛としている感じは、あこがれにも似た感覚で、私は大好きなのだ。


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働く女性の不器用な恋愛

本作『ホリディ』は、あるクリスマスシーズンにおける2組の男女の出会いの物語である。

LAで暮らす映画予告編制作会社を経営するアマンダ(キャメロン・ディアス)と、イギリスで編集者をしているアイリス(ケイト・ウインスレット)の2人の女性が主人公。

二人共、クリスマスシーズンのど真ん中で恋に終止符を打ち、一人旅をすることを考える。『自宅交換サイト』に登録していたアイリス。それをアマンダがネットで偶然見つけ、クリスマス休暇の数日間、お互いの家を交換するという話になっていく。

自室を交換した2人は、それぞれ異国の地で異性に出会うという物語だ。
アマンダはLAからイギリスへ、アイリスはイギリスからLAへ。

アマンダとアイリスの2人の女性の物語が、ほぼ同時進行で進んでいく。
話のボリュームとしては、ちょうど半々くらい。
どちらかが主役というよりもダブル主役に近い。

アマンダの相手役はジュード・ロウ、アイリスのお相手はジャック・ブラック。
全く異なるタイプの男性2人をキャストに置いたのも面白い。

本作の登場人物は、みなクリエイティブな仕事に就いている。映画予告編の制作会社の社長とか、エディターとか脚本家とか。映画や書籍やエンタメに関わる仕事が舞台なのだ。これは、監督であるナンシー・マイヤーズ自身の身近なものを題材にしているようにも思う。(これは『恋愛適齢期』の時も同じ)

主人公2人は、社会的にも自立し凛としているのに、なぜか恋愛だけは上手くいかない。
これを総じて『男運』と呼ばれるのかもしれないが、基本的に恋愛関係における『運』というのは存在しない。たまたま恋に落ちた相手とうまく愛を育めなかったしても、それは『運』ではなく、あくまでも自分が導きだしたものだ。

浮気症の相手を許し受け入れるのも自分。
誠実さにかける相手を許し受け入れるのも自分。

社会的に自立している女性であっても、それを自覚しながらも失敗を重ねてしまう。
アマンダとアイリスもしかり。そんなダメダメな状況の2人からスタートするあたりも女性が共感しやすい。


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主人公2人の内面を、周りの人との関わりでコミカルに描く

アマンダ演じるキャメロン・ディアスとアイリス演じるケイト・ウインスレットは、若干、タイプの異なる女性像だ。

見た目も大分異なるし、生活スタイルも違う。交換しあった2つの家も正反対。
LAにある豪華な洗練された一軒家(アマンダ宅)とイギリスの片田舎のメルヘンチックな小さな家(アイリス宅)。

彼女たちがどんな生活を送っているかは、このあたりの描写から推測できて分かりやすい。

ただ、彼女たち自身の内面は、台詞でもあまり語られない。
そのかわり、それぞれ異国の地で出会った人びととの関わりを通して、ジワジワと彼女たちの個性が浮き彫りになる。共通して、どちらの女性も自然体で謙虚で傲慢さがない。偶然知り合った人びとと、小気味良い関係を発展させる。

この辺りが、みていて清々しい。

“恋に失敗した2人だから、どれだけグズグズなのだろうか?”と思い観ていくが、実際は、ただ聞き分けが良い女性であっただけのようだ。自立しているゆえに、ある意味男性に対して聞き分けが良い。聞き分けが良い分、相手に甘えられた結果、破綻を招くタイプで描かれている。

そのあたりもなかなか共感できる。


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アマンダの選択、アイリスの選択

物語の中で展開される恋物語の片方である、アマンダ(キャメロン・ディアス)とグレアム(ジュード・ロウ)の2人の感じは特に良い。

アマンダの前に突然現れた、『ハンサムなイギリス人男性』という役どころのジュード・ロウだが、ただ単にハンサムな浮ついた男性というだけではない設定がとても良い。

偶然あった2人なので、互いの事を良く知らないうちから、急速に沸点までもっていかれるが、異国の地で過ごす数日の休日での出来事であるという設定だから合点がいく。(余談だが、本作はキスシーンの撮り方が上手い。女性監督の描くキスシーンだなと惚れ惚れする。ここはオススメポイントなので注目されたし。)

そこから発展していく2人の関係性や、グレアム(ジュード・ロウ)の事情を踏まえたアマンダの選択は、観る人に恋の可能性と勇気を与えてくれ、爽やかな後味を残してくれる。

一方、(もう片方の)聞き分けの良すぎるアイリスの不器用な恋。

物語の中では、アマンダほど新しい恋に走る描写にはなっていないが、LAで知り合った隣人や仲間との出会いをキッカケに、じんわりと自分らしさを取り戻していく。聞き分けの良すぎるアイリスではあるが、周りの人びとにきめ細やかな気遣いのできる優しく強い女性であることが浮き彫りになる展開である。そんな彼女の魅力に気づく男性との微かな恋の予感も、柔らかいタッチで結ばれていて心地よい。

アイリスがLAで出会う仲間の一人に、俳優のジャック・ブラックがキャスティングされているのも興味深い。ジュード・ロウとは180度異なるタイプの男性であることで、LAとイギリスの2つの恋物語にメリハリが出ているような気がする。


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男性に尽くす事と、男性に流されることは全く違う

仕事を見事にこなし、見た目にも美しい2人の女性たち。
なのに、恋愛だけはうまくいかない。

特定の男性と長い付き合いになればなるほど、仕事と恋のバランスが上手く行かなくなったり、相手に不誠実な行動をとられてしまう。

しかし、この2人の良い所は、決して相手のせいにはしない所だ。それは、相手のせいにしても何も変わらないし、自分自身の課題を乗り越えることはできないと知っているからだ。

こんな風に、ナンシー・マイヤーズ監督の描く女性像は、不器用に見えても、いつも自分自身をしっかり持っている。恋が上手くいかなくても、思い通りにいかなくても、彼女たちが凛として見えるのである。

それは、それぞれ没頭できる仕事を持っているからだと思う。

恋も仕事も並列なのだ。

どちらかが上で、どちらかが下という事もない。
どちらかを優先させて、どちらかを犠牲にするということもない。

恋をしても相手に流されない、恋をしても彼以外に没頭できるものをもっている、恋をしてもいつでも別れる勇気と強い心を持っている。そんなブレないキャラクター達を主人公に置いたあたりは、同じく働く女性に、清々しさと共感を生むのであろう。

相手に愛されたいと男性に尽くすことは、結構なことだ。尽くす事は、相手に愛情を伝える事に他ならない。しかし尽くすこととは、相手の言いなりになり流される事とは全く違う。

“いつも主導権は私の心の中にある。”
自分を削って流され失う恋ではなく、相手に尽くして積み上げていく愛情を感じる恋を選ぶこと。そんなことを感じさせてくれる軽快な映画である。

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