「くじらと生きる」和歌山県太地町の苦悩




 
「死ね」
 
「伝統や文化とか言って、本当は誇りなんてないんだろう」
 
「惨めなやつらだ。負け犬め」

こんな言葉を、日本人に向かって吐いているのは
反捕鯨団体「シーシェパード」。

クジラ漁の盛んな和歌山県太地町では、
反捕鯨団体「シーシェパード」が、
地元の漁師を四六時中監視し、このような暴言を吐いている。

地元の漁師は、彼らの挑発にのらないよう、
奥歯をかみしめながら、堪え忍ぶ日々が続く。

2009年にアメリカで公開されたドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」。

和歌山県太地町で行われている、イルカ追い込み漁を
批判的に描き話題になった。

コーヴ(cove)とは「入り江」という意味だ。

この映画にもあるように、反捕鯨団体「シーシェパード」のメンバーは
太地町に滞在し、クジラやイルカ漁を行う漁師に
漁をやめるよう詰め寄っている。

「シーシェパード」の主張はこうだ。

『クジラやイルカは高等動物で、言語や家族を持っている。
こうした生き物を守らなければ海は守れない。
自分たちが向き合っているは文化を持つ動物である。』

それに対し、太地町では、

「クジラ漁は江戸時代から行われている歴史ある漁であり地域の主力産業。
地元では、クジラ肉のみならず、捨てるところ無く
様々なものに加工され、大切に海の恵みをいただいている。
クジラをまつる神社まであり、クジラと共に歩んでいる。」

事を訴え続けている。

何度か両者で話し合いを持ったが、平行線で全く解決に至っていない。



シーシェパードは、
入り江にクジラをおいつめ、
最後に命を絶つシーンを撮影しようと、
隠しカメラを設置したりして、その残虐性を訴えようとする。

漁師はそのシーンを撮られまいと、いろんな手段でしとめるシーンを隠す。

「シーシェパード」は言う。

「恥ずかしいと思ってるから、殺すシーンを隠すんだろう。
仕事を恥じているんだろう!」
漁師は言う。

「牛や豚だって、屠殺場のシーンは見せないだろう。
クジラやイルカだって、そうだ。
命を絶つ現場は見せたくはない。」

そんないたちごっこが続く。

この番組は、5月にNHKスペシャルで1時間の番組にまとめられたものだ。

番組全体は、太地町側の目線で編集されていたが
きっと、反捕鯨団体側から見たら、全く別のものに描かれるだろう。

私は、とても考えさせられた。

人間にとって「食」とはなんだろうか?
人間である以上、それが動物であれ、植物であれ、
他の生物の命を奪い、その生をいただきながら生きている。

これは、人間でなくても同じだ。
命をとりこみ、命に変える。

それでも人間は、希少動物や絶滅が危惧される動物などは
自然保護で捕獲を制限したりして、地球環境を守っている。
現に、クジラも年間の捕獲量が決まっていて、
2,000頭以上は商用捕鯨はせず、とりすぎたクジラは海に帰しているそうだ。

しかし、反捕鯨団体は、
他の魚と違い、クジラやイルカは高等動物だから
漁をしてはいけない、食べてはいけない、と訴えている。

果たして、そうなんだろうか?

この動物は高等動物だから食べてはいけなくて、
この動物は下等動物だから食べて良い。

これは、誰かが決めるものなんだろうか?

 

そもそも、命の重さなんて、誰かが決めるものなんだろうか?

そこに、非常に大きな疑問を持った。

もし、万が一、地球上に食料が全くなくなって、
もし、万が一、地球上にクジラとイルカしかいなくなっても、
反捕鯨団体の彼らは、クジラもイルカも食べないんだろうか?

自分の子供が、餓死して目の前で死にそうになっても、
クジラやイルカは食べずに、死を選ぶのだろうか?

昔、誰かが言っていた言葉を思い出した。



 

『地球は死にあふれた残酷な星』

別の生き物の命の奪いながら自分の生を長らえる。
常に、命の奪い合いが、この地球で行われているのだ。

でも、私は、この言葉が醜い、汚い言葉には思えない。
地球に生まれ、生きることを余儀なくされている生物はすべて
そのようにプログラミングされているのだから。

どんな生物でも、種を保存しようと、
別の生物から命をもらい、
生きるようプログラミングされているのだから。

だからといって、なんでもかんでも命を奪って食べて言い訳ではないし
命をいただく限りは、感謝と敬意を払って、自分の命の源にさせていただく。

そこに、高等動物だから、下等動物だから、
という認識は、果たしてどう考えるのだろうか?

もちろん、クジラやイルカ本人にさえ、
「自分は高等動物である」という自覚などないし、
彼らは彼らで、生を全うしようと必死に生きているだけだろう。

海の中では天敵の少ないクジラは、
生態系の中で、人間が天敵になっているのではないだろうか?
これも、自然の摂理では無いのだろうか?

つまり、「シーシェパード」の人たちは、
人間同士では分かり合えないけど、
クジラやイルカとは分かり合えている、
ということなのだろうか?

私は知りたい。

命の重さって、
高等だとか下等だとか、
誰かが決める事なんだろうか?