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命のバトンをつなぐのに 愛しあう事以外大切なものはない

『父親の愛は叱り手の愛である。
母親の愛は慈悲の愛である。(※1)』

今読んでいる、“般若心経講義(高神 覚昇著,1968,角川ソフィア文庫)”の中に、こんな一節がある。(※1)

さらに本書の中では、この一節を、叱り手である父親の愛は哲学の領域であり、慈悲の愛である母親の愛は宗教の領域であると補足説明されてあった。

実に、腑に落ちる解説である。

以前、教育学を学んだ時に、『子供は多く母親の影響をうけ、父親という存在は子供の生育にさほど影響しない。』ということを知った。ならば、父親の役割とはなんだろう?と思う。遺伝子の片割れというだけなのか?

いや、この解説を読めば一目瞭然。
父親は、子供の生育のバランスをとるため、叱り手の愛をあたえる絶対的な存在として位置づけられるのである。

だからこそ、子供には優しい母親と厳しい父親が揃ってはじめて、健全な子供の生育を見届けることができる。

しかし、昨今の社会的価値観の変化により、シングルマザーとして子を持ったり、結婚し子供を得てから不仲になり、やむなく別れてしまう夫婦も多い。昔よりも、このあたりの抵抗感は薄くなり、女性が1人で子育てする光景も、珍しくなくなった。子供を引き取るのは、圧倒的に母親が多いように思う。これは、子供にとって叱り手としての父親の愛を失う事であり、出来る限り、回避したい現実であることは一目瞭然だろう。

子供に多くの影響をあたえる母親(女性)は、産んだ瞬間から“母親”という役割を背負う。世間は『徐々に、母親になるんだ。』といいながら、一方で、何かことが起こると『母親なんだから』と攻め立てる事もある。ベテラン母であれば、過去の教訓をベースに対応できる。しかし、新米母親はいつも手探りで不安なのに、それでも『当たり前』のように、適切な母親の役割を求められるのが現実である。

だからこそ、母親自身の心を安定させ、サポートしてくれる存在が、絶対的に必要なのだ。

母親こそ、誰かの愛に溢れていないと、心に余裕をもって子供に適度な愛を与えることができない。だからこそ、父親(夫)の役割とは、叱り手としての愛を子供に与える役割と同時に、母親(妻)を愛し、愛で支える存在であり続ける必要があるのである。こういった意味でも、できるだけ夫婦揃って子育てできるという環境は、どれだけ大切な事であるかよく分かる。

「愛」は連鎖する。

たとえ、生まれながらにして母性を兼ね備えた母親(女性)であっても、きちんと誰かに愛される事を知らなければ、自分の子供にさえ、愛を与えることはできない。逆に、ちゃんと愛することを身をもって子供に伝えることができれば、やがて、其の子は、新たに誰かに愛を与えることができるようになる。このように連鎖していくのである。
だから、子供を作る作らないのまえに、人を愛して人に愛される体験が必要なのだ。そしてこれらは、女性の覚悟のみならず、男性の覚悟でもある。

マスコミがよく使う“イクメン”とは、おむつをかえる、離乳食を与える、幼稚園にお迎えに行くといった、物理的行動をみせる父親(夫)というだけではなく、母親(妻)を愛で溢れさせる事のできる男性であると、私は思う。

だから、恋が必要なのだ。

色んな人と出会い、真剣に向き合い、愛し愛されることを知る。時に傷つき失敗し、それでも誰かを求めようとする。生命をつないでいくために、愛しあう事ほど大切なものはない。

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