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【映画レビュー】 映画「リトル・フォレスト」と東北の山里の煌きとおばあちゃんの記憶

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自然の中の人間

梅雨だ。

このところ続く、シトシトと降り続ける梅雨時期の長雨はうっとうしい。家にいる時はまだしも、ひとたび外出するとなると、着る服はどうするか、履く靴はどうするか。とても面倒だ。

さらには、突然降りだすゲリラ豪雨に備え、折りたたみ傘は手放せない。結果、重くなる荷物。ようしゃなく湿気でパサツク髪の毛。本当に、この時期は、毎年ゆうつつだ。

しかし、そんな事をつぶやくのは人間だけ。
なぜなら、この時期の雨は、大地に恵みをもたらす貴重な雨だからだ。

日本を潤し、大地に豊かな実りをもたらす。

人間のちっぽけな憂鬱などは、どうでもよいくらい、私たちの生活を潤すのだ。

先日観た邦画『リトル・フォレスト(夏・秋)(冬・春)』は、まさに、こんな私のちっぽけなボヤキを吹き飛ばしてしまうくらいに、大地の息吹と人間の営みの関係性を丁寧に描いた素晴らしい映画。
東北の山里を舞台に、自給自足で暮らす女性の生活を通し、農作物の栽培そしてお料理という視点で描いた映画で、大いに感動した。

主演は橋本愛さん。
シーン通して、ほとんどスッピンに近く、髪をひっつめ農作業着で畑を耕し、稲を刈ったり、雑草を抜いたりするシーンばかりで、従来の橋本愛さんのイメージが一変している。

また、本作は、岩手県奥州市でオールロケを敢行。
1年かけて、シリーズ4部作の『夏・秋』『冬・春』を撮影したのだそうだ。


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リトル・フォレスト夏・秋

リトル・フォレストは『夏・秋』から始まる。

冬の寒さが厳しい東北にとっては、温かい季節である夏〜秋にかけて、多くの実りを収穫する。お米の収穫はもちろん、野菜類もこの時期に沢山収穫される。その他、山の貴重な食材であるアケビ、くるみ、栗、グミ。
これらを使ったお料理が、軽快なテンポと可愛らしい編集でまとめられている。

これら山里で採れる食材は、東北生まれの私にとっては、子供の頃のおばあちゃんの味だ。

舞台となった「小森」という集落ほどの極端な山里ではなく、家のそばに山があるわけでは無かったが、おばあちゃんはいつの間にか、こういう食材を使ったお料理をしていた。

今考えてみると、どこからどうやってとって来てたんだろう?
きっと、どこにいけば採れるのか、おばあちゃんは田舎を知り尽くしていたんだと思う。

アケビを使ったお料理、栗の渋皮煮、グミのジャムなどなど….。
その調理の仕方を観ているだけで、実にお腹がすいてくる。ここが、この映画の素晴らしい所。フードディレクターの監修なのだろうが、そのセンスもすばらしいが、それを容赦なく魅せつける編集など、監督の技量も素晴らしい。

特にくるみ。
くるみは、私にとっては、最もおばあちゃんのぬくもりの味を感じる食材だ。

よく、おばあちゃんは庭先で金槌を使って、くるみを割ってくれた。それを、先の尖ったフォークのようなもので庭先で食べる。(庭で食べるというのがポイント)おばあちゃんは、ひたすら『栄養があるから』と言っていた。あの頃は分からなかったが、確かに、くるみの栄養素は高く、積極的に摂ったほうがよい食物だ。

とれたてのくるみは、しっとりしていて香ばしく美味しかった。大人になって、スーパーで買って食べている、それとは大きく異る。あんなにぱさついて無いし、味が濃いのだ。

これも、映画を観て知ったのだが、くるみの下ごしらえは大変なんだそうだ。湯に何度もくぐらせ色が薄くなるまで煮てたなんて…。こんな手間のかかることをして、おばあちゃんが私たちに食べさせてくれたのかと思うと、暖かくて目頭が熱くなる。

そして、いつこんな事をやってたんだろう。すごい。


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リトル・フォレスト冬・春

そして、後半は『冬・春』編。
東北の暮らしで、最も厳しいのが冬の生活だ。

容赦無い雪と吹雪。
寒さに耐えながら、長い長い寒い冬を越えていく。

映画では、実りの収穫の季節である夏・秋とは異なり、冬は主に保存食のお料理が出てくる。

余談だが、確かに東北の冬は厳しい。
これは、住んだ事がある人にしか分からないだろう。

私は、高校まで雪国で暮らしたが、子供の頃の私は、それはそれは強い子だった。(笑)

ちょうど、学区の堺だったため、小学校には片道2kmの道を歩いて通った。中学校はその倍、片道4kmくらいの道を自転車で通った。よって、冬はすこぶるつらい。(隣の家の子は、違う小学校に通っていて、俄然近かったのだが…..汗)

子供でなければ絶対耐えられない。

今なら絶対耐えられないし、毎日タクシーを呼ぶに違いない。(笑)

冬は、長靴の半分が埋まるくらいの深い雪を踏みながら、友達とおしゃべりしながら雪道をひたすら歩く。除雪車もくるし、車通りの多い道ではあっても、大人ならまだしも、子供の足には辛い雪道だった。そして、悲惨なのは吹雪の日。真っ白の風景をかき分けながら、吹雪に対抗するように歩く。大人になって、これはホワイトアウトと呼ぶという事をしって唖然とした。結構、危険である。(笑)

まぁ。ここまでは余談なのだが、とにかく雪国の冬は辛いということを書くために、あえて脱線。

『リトル・フォレスト 冬・春』は、夏と秋に収穫した野菜や果物を、干し柿や凍み大根などの保存食にするためのレシピが映画では映し出される。そして、雪解けの春には、雪を押しのけるように芽吹く、ふきのとうや土筆たち。さらに、タラの芽やコシアブラなど、山菜の天ぷらは、東北の食卓では鉄板であり、映画にもそれが盛り込まれていた。

でも、正直、干し柿の作り方も凍み大根の作り方も、私は知らなかった。秋から冬にかけて、当たり前のように軒先に吊るされる干し柿は、いつどんな風におばあちゃんが作ったかは覚えていない。というか、実際、作っているところを見ていないのだ。私が子供で、遊んでいる時に、見えないところでこんな丁寧な作業をやっていたんだな。

またも、目頭が熱くなる。

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大地の成分でできている

私たちの体は大地の成分でできている。

おひさまの光をあびて伸びる植物たちの、その生命を、その営みを、丸ごと体に入れて生きている。

普段は、枝からもぎとられた野菜が陳列するスーパーで、そんなことを考えもしない。

どこどこ産で、どれだけ新鮮で、オーガニックで、色艶は….なんて品定めはするものの、この野菜を育てている生産者の手のシワなど想像もしないだろう。

でも、雨や風、霜や日照りなど、天候に一喜一憂しながら、丁寧に育てている生産者がいてこそ、大地がもたらすエネルギーを、私たちの体にいれることができるのだ。そしてそれは、映画の舞台になった、東北の山里のように、食べるために育て、育てて食べる、を繰り返す人間の営みのように、生き生きとした命の鼓動そのものなのだということが、改めて考えさせられた。

子供の頃、おばあちゃんとよく草むしりをした。
生えてはとり、とっては生える雑草に、「めんどくさいない」と思った。

でも、映画の中でも出てきたが、ある程度の雑草の中でこそ、生き生きと育つ食物も沢山ある。雑草をも管理しながら、美味しいものを賞味するなんて、なんて贅沢なことだろう。

改めて、『自然そのものを食べて生きる』ということを考えさせられる。

何度となく映画の中ででてくる、主人公が美味しい料理を食べるシーン。

大地を体に取り入れ、そして大地になっていく。
それだけでいいじゃないか、と
そんな穏やかな気持ちになれる、良作でした。

是非、機会があれば御覧ください。Blue-rayも販売されたらしいので、買おっかなとも思ってます。

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