The Missing Piece 〜ぼくを探しに〜



変わった英語の授業

今日、NHKの番組で、ある小学校のちょっと変わった英語の授業風景を見ました。

翻訳家が英語の先生をつとめ、ある絵本の翻訳を通して子ども達が英語に触れる番組でした。

そこで教材としてとりあげていたのが、The Missing Piece(Shel Silverstein作)という絵本。

日本では、ぼくを探しに(翻訳者: 倉橋由美子)と翻訳されている絵本です。

It was missing a piece.
And it was not happy.
So it set off in search of its missing piece.
And as it rolled
It sang this song ―
Oh I’m lookin’ for my missin’ piece
I’m lookin’ for my missin’ piece
Hi-dee-ho, here I go,
Lookin’ for my missin’ piece.

(訳:倉橋由美子)
何かが足りない
それでぼくは楽しくない
ころがりながらぼくは歌う
「ぼくはかけらを探してる、足りないかけらを探してる、
ラッタッタ さあ行くぞ、足りないかけらを……」

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一部のピースが欠けたマル

“ぼく”という一人称の主人公は一部のピースが欠けた「円:まる」。

しかし、一部が欠けているために、コロコロとうまく転がる事ができません。転がる事が出来ない主人公の“ぼく”は、失ったかけら=Missing Pieceを探す旅に出かけます。

そして、カケラを探す旅の途中で、沢山の仲間に出会います。美しい花の香りと出会ったり、虫さんと出会ったり、色んな経験をしながら、ゴロゴロと転がりながら旅を続けます。

そして、鵜用曲折しながらも、ようやくピッタリはまるカケラに出会う事ができるようになります。

めでたく完全な円になった“ぼく”は、
ものすごい勢いで転がる事ができるようになりました。

しかし、“ぼく”は気付きます。

コロコロ転がる事はできるけど、
いい香りの花のところで止まる事もできないし、
虫さんと話す事もできなくなりました。

コロコロ、コロコロ転がり続けるだけ。

そこで、“ぼく”は初めて気付きます。

一部欠けている時の方が楽しくて幸せだった事を。

番組では、こんな哲学的な内容の絵本を、小学生が翻訳家と一緒に英語を翻訳していっていました。

もちろん、子ども達は英語は分かりませんので、英語の辞書を片手に単語の意味から調べて行きます。

分からない文法などにはこだわらず、どんどん感覚で翻訳していきます。

そうしていくうちに子ども達は、自然と絵本の世界をイメージできるようになっていきます。

普通に直訳したら、絶対入らないだろう、

『嬉しい!』とか『やった!』とか、
主人公の“ぼく”の心のありようを表現する言葉を足して
翻訳を完成させて行きます。

グループに分かれて翻訳しますが、どのグループもオリジナリティにあふれ個性ある訳ができあがりました。

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新しい学びのスタイル

この英語の学習方法を見て、私は目から鱗が落ちたようでした。

単語や動詞、文法を覚えようとすると
母国語である日本語も不十分な子どもにとっては
英語の学習が苦痛になることでしょう。

しかし、 この学習スタイルは、英語の勉強ではなく
「言葉」に触れることであり、「言葉」を通じて
「人間とは….」みたいな哲学的な視点で考える
学びの場になっていることに驚きました。

「言語」とは、「覚える」ものではありません。
「言語」とは、「使う」ものであり、
極めて、思考の延長にあるものであることを
子ども達の学習を通じて再認識させられました。

これからは、

日本においては、母国語である日本語の他に
英語が話せるのは最低限の時代です。

未来を担う子ども達にとっては、
英語は、「学習」ではなく「言語」として
身につけなければなりません。

日本語だからとか、英語だからとか、
言葉の壁を通り越した
もっと広い視点での学習スタイルが、
ますます必要となっていくのだろう、と感じた番組でした。

とても、良い番組でした。
絵本もさっそく購入しました。

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