暗闇で見えたもの




善光寺@長野
長野の善光寺に「お戒壇巡り」というものがある。
先日、初めて善光寺に行ったとき、
せっかくなので、「お戒壇巡り』をしてみた。
お戒壇めぐり、とは、
善光寺のご本尊が安置されている瑠璃檀下の
真っ暗な回廊を通り、極楽の錠前を探り当てて、
極仏のご本尊と結縁する道場だ。
小さな階段を数段下ると
そこからは、暗闇になる。
だから、右手で腰の高さの壁を伝って進む。
暗闇とは、どんなものか想像できるだろうか?
目を開いていても、目を閉じたときと同じ黒の世界だ。
昼間、外で目を閉じたくらいだったら
若干、明るい日差しを感じる事がある。
でも、この回廊の中は
「黒」だった。
実は、私、
この事を、全く知らずにお戒壇めぐりをしてしまった。(*´・ω・。)
暗闇になってから、2~3歩で
恐ろしい程の恐怖感を感じた。
回廊がどれくらいの距離で
どんな道になっているかも知らずに歩き始めたので
自分は、どこをどのように歩いているのか
分からなくなってしまい
ものすごい不安感に苛まれたのだ。
てかがりは、右側の壁。
触れると、やわらかくすべすべした木の感触を感じる。
暗闇の中で、どこをどう歩いているか分からないため
前後を歩く人から離れたくなかった。
人の気配だけが頼りで、
前の人についついぶつかりながら急いて歩く。
私は、暗闇の中、
“前に歩くことしか”考えなかった。
そんな時、前の人の携帯電話が鳴り、
一瞬、暗闇の中に光がともった。
そのときのホッとした気持ちといったらない。
周りに人がいることを改めて知り、
ようやく、バクバクしていた鼓動が
落ち着いた気がした。
後から知ったのだが、
回廊は約45m。
口の字型をしているそうだ。
たった45mなのに、
私には、とてつもなく
長い長い距離をさまよい歩いたような気がした。
実は、私は、狭くて暗い所はちょっと苦手。
人ごみの中に埋もれるのも嫌いで
ちょっと息苦しくなってしまう程。
狭くて暗い回廊の中に
なんの心構えもしないで歩き出した私は
普通の人よりも若干おびえていたかもしれない。
でも、その反面で、
この時ほど、
「無」を感じた時間は無かった。
前に進む事。
出口に向かう事。
それしか考えない、瞑想しているような感じがして
ものすごく、脳がすっきりした。
いかに、常日頃から色んな事を考え、
脳を使いすぎている事が分かる。
全く何も見えなくなったとき、
ものさしさえも失ったとき、
人間は、余計な事を考えず、
ただ、ただ、目の前を黙々と歩き続ける。
本当の「黒」に包まれると、
いかに日常が、強い刺激に囲まれて
日々を過ごしているかを知った。
反面で、光のある方へ
刺激を求めながら生きているのかも知れない。



人間とは、
暗闇に心の「平穏」を求めつつも
明るい光に照らされていないと
不安にもなる存在なんだな。
そんな、いつも感じない事を感じた体験だった。
※ちなみに、ルールを知らずに入ったので
極楽の錠前を探り当てる事はできませんでした。残念。


大きな地図で見る