使われなかった地下壕(松代象山地下壕)




終戦の日の前日。
長野にある松代象山地下壕を訪れて
感じたエッセイです。
松代象山地下壕(長野松代町)

バサバサッ、バサバサッ、と
コウモリが私の頭上を威嚇するように飛んでいく。

まるで、私の行く手をはばみ、
挑戦しているかのようだ。

その度に、私は、体をかがめて顔を覆う。

ここは、長野県の松城町にある「松代象山地下壕」
太平洋戦争末期に、軍部が本土決戦最後の拠点として
極秘のうちに、大本営、政府各省などを
松代に移すという計画の元に作られた地下壕だ。

舞鶴山を中心に、碁盤の目のように掘り抜かれ
延長10km余に及ぶ地下壕。

ここは、できるだけ多くの人に
戦争の歴史を知ってもらうために、

そのうちの500mの部分が解放され
無料で見学ができる。

入り口では、安全のためにヘルメットが手渡される。

それをかぶり、地下壕の入り口に入ると、
一瞬にして、ヒヤッとした空気に包まれ、
思わず飛び立つ数羽のコウモリに身をかがむ。

「松代象山地下壕」は、昭和19年の11月に工事を着工。
翌年の昭和20年、8月15日の終戦の日まで、
約9ヶ月間、1日3交替徹夜で工事が進められた。

工事にかかった費用は、当時のお金で約2億円。

延べ300万人の人が工事に携わった。

工事に携わったのは、
住民や朝鮮から連れてこられた朝鮮人の労働者。
当時は、食料事情も悪く、
白米に雑穀を混ぜた粗末な食事で
過酷な労働を強いられたという。

また、工法も旧式な人海戦術を強いられ、
多くの犠牲者を出したとも言われている。

私が訪れたのは、終戦の日の前日だったため
夏休み子供見学会の一環で、
地元の無料ガイドさんが、解説をしてくれた。

戦争を体験したおばあさまである
無料ガイドの方が、当時の労働者である
朝鮮人の労働者の話をしてくれた。

「当時はね、食料も少なくて、
白い米に雑穀を混ぜて食べてたんですよ。


朝鮮人のチェさんが、
おなかがすいておなかがすいて、と
高校生の私に、話してくれました。


雑穀なんて、いまでは鳥とかが食べる粗末なものでしょ。


だから、消化が悪くておなかを壊しながら
過酷な労働をしていたんですよ。」

実際に、戦争を体験したガイドさんは、
実際の労働者であるチェさんの写真を見せながら
見学者に丁寧にガイドをしてくれた。


この地下壕は、全行程の75%の時点で終戦となり工事は中止された。

戦後は、訪れる人も少なくなり、忘れ去られようとしていたが
高校生を含めた地元の人々の活動によりその存続が実現。
今は、長野県の管理の元で、多くに人にこの存在をしってもらうべく
無料開放されているのだ。

地下壕の中は、ジリジリと照りつける夏の太陽が
まるで嘘のように寒く冷えきっている。
500m歩くうちに体は冷え、
半袖Tシャツ姿では寒気さえ感じる。

地下壕の中には、岩盤を支える支柱以外何も無い。

ところどころに、削った岩盤を運ぶトロッコの枕木跡などがあり
まるで、昨日の事のように現存されていて
なんとも言えない、背筋が寒くなるようなリアル感だ。

トロッコの枕木跡

当時は、旧式な人海戦術工法とはいいながらも、
ものすごく完璧に地下壕が削られている。

10kmにもおよぶ地下壕を、寒い長野の冬を越えながら


300万人の方が掘り抜いたのか….と考えると
戦況がギリギリの状況にきていた事をリアルに感じた。

それでも、前に進まざるを得なかった不毛さと
それを支えた多くの日本人と朝鮮人に、
心の底から、感謝と敬意の気持ちが沸き上がってきた。

戦争をしたい人などいない。
また、戦争を賞賛するものなどいない。

それは、今も昔も同じだろう。

それでも、進まざるを得なかった過去を
新しい時代を生きる私たちは、
このような残された遺物から読み取らなければならないし、
これからの未来で、何をすべきか考えなければならないんだろう。

愚かだとか、
不毛だとか、
残酷だとか、
悲惨だとか、

戦争を揶揄する言葉はあげればキリが無い。

でも、それだけで終わってはいけないんだと思う。

人は、平和を願いながらも、
残酷な道を選んでしまう弱い生き物だ。

これから先だって、どんな過ちを犯すかなんて分からない。

どれだけの人がそれを自覚し、
世の中を正しい方向に導いていけるか?
それを、これらの遺物は、存在し続ける事で説いている。

国が違えば、戦争の捉え方も違う。
反日とか、反韓とか、反中とか、
いろんな考えをもつのも
ある意味、仕方ない事だろう。

だけど私は、
この地下壕を見て、戦争を体験した人の話を聞いて、

ここで地下壕を掘った朝鮮人労働者の方々も
日本国民と一緒に戦った人たちだと思った。

どんな思いで作業したかは分からないけれど
事実、これだけの地下壕がほぼ完成まで掘り抜かれたのだから。

朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑
地下壕入り口

ここを見学して感じた事は二つあった。

戦争はしちゃいけないんだ….
という気持ちだけではなく、
人は、弱く残酷な生き物なんだ。
だから、未来を律して生きていかなければならないんだということ。
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そして、日本の戦争ではあったけど、
日本人以外の他国の方々も一緒に戦ったということ。

もっと、広い視野で戦争をとらえなきゃいけない、と感じた。

行った事の無い方は、是非行って欲しい。
地下壕の冷たい空気と静けさを
自分の肌で感じ、何かを考えるきっかけになるだろうから。