広島の原爆投下も、長崎の原爆投下も日本軍は把握していた


今日、広島は66回目の原爆の日を迎えた。

その式典で、菅首相は挨拶で、

犠牲者の冥福を祈るとともに「原発への依存度を引き下げ『原発に依存しない社会』を目指す」と述べ、「脱原発」方針を強調した。犠牲者追悼の式典で、首相がエネルギー政策に触れるのは極めて異例なことだといわれている。

 

66年前に起こった原子力による悲劇。
66年後に起こった原子力による悲劇。

 

毎年くるこの原爆の日を、今年は、何ともいえない気持ちで迎えることとなった。

今日のNHKスペシャル。「原爆投下 活かされなかった極秘情報」は、原爆投下にまつわる新しい事実についてまとめたものだった。

 

その内容は、実に衝撃的。

『広島の原爆投下も、長崎の原爆投下も
 実は、日本軍は把握していた』

これまで、固く口をとざしてきた当事者の方々が、ゆっくり口を開き初めて明かされる真実だった。

 

当時、陸軍特殊情報部という極秘部隊がアメリカ軍のB29が発信するモールス信号を傍受していた。

ほとんどが暗号化されており分析不可能だったが、一部、暗号化されていないわずかな短い信号(コールサイン)を解析することで、いつどの島から攻撃機が出撃するかの手がかりをつかむ事ができていた。

 

その中で、それまでとは全く異なる不審なコールサイン。
何かしらの、特殊な攻撃機であることをつかんでいたそうだ。

 

66年前の8月6日。
この日の深夜、情報を分析していた軍人は、またも、この不審なコールサインを傍受。特殊な攻撃機が向かっていることを、陸軍上層部に報告していた。

しかし、上層部はこれに対し、空襲警報の発令もなく迎撃命令もなく見過ごした。

 

そして、8月6日8時15分。
エノラゲイに乗せられた原子力爆弾は投下され、広島の中心部を一瞬にして焼き尽した。

 

さらに、その3日後、
また、同じ不審なコールサインを傍受。
すでに、広島での原爆悲劇を受けていてもなお、情報部が取得したコールサインの報告を陸軍上層部は無視をした。

 

そして、8月9日11時2分。
またも、長崎に原子力爆弾は投下された。

 

なぜ、この二つの原爆投下の予兆を察知しながらも陸軍上層部が取り上げなかったかは今でも分からないそうだ。その当時、日本側はアメリカにおける原子力爆弾の開発が進んでいる事を把握しており、十分警戒していたのに、特殊情報部の情報は全く活かされなかったのだ。

 

この番組には、実際に任務に携わった元軍事さんが、生々しく、当時起こった事を証言していた。

 

終戦から66年だから、みんな、90歳近くになる方々だ。

 

それでも、まるで昨日の事のように、鮮明にその当時の事を淡々と語っていた。

 

そして、

『なぜ、あの時に原爆投下を止められなかったのか?』

 

という自責の念にかられながら、これまでの人生を歩んでこられたようだ。

当時を思い出しながら、今もなお、涙が止まらないのだ。

 

『あのとき、せめて、空襲警報が出されていたら助かった人も多かっただろうに。』
『迎撃命令が出ていたら、阻止できていたのではないか。』
『軍人として、本当になさけない。申し訳なくて。』

 

その時の極秘部隊の資料はすべて灰になるまで焼却されているそうだ。敗戦が決まったときに、証拠隠滅のために徹底的に廃棄された。これらの情報は、わずかに残っている資料と実際に任務に携わった、元軍人の方々からの証言だけだそうだ。

 

果たして、この事は何を意味するのだろうか?

そして、番組の最後に、こうまとめてあった。

広島と長崎。
無防備な人たちの頭上にあいついで投下された原子爆弾。
多くの尊い命と営みが一瞬にして奪われました。
危険がせまっていることを知りながら
最後まで、その重大な情報を伝えなかった軍の指導者達。
二度にわたる悲劇は、国を導くものの責任の重さを今の時代に問いかけています。

また、

原爆投下の5時間前に原爆機接近の情報を軍の中枢がつかんでいたという新たな事実を66年経った今、初めて聞かされた、元軍人さんは

 

『分かっていたら、なんで命令を出さなかったのか。5時間もあったら、十分待機できたはずだ。これが、日本の姿ですかね。こんなこと、また起きるんじゃないですか?こんなこと、許しておったら。』

 

66年たった今の日本。

同じ悲劇が繰り返されてはいないだろうか?
それを、私たちは許してしまってはいないだろうか?

「今」に問いかけずにはいられなかった。