違和感の正体(先崎彰容著)〜多様な考え方が渦巻く中、安全で平和な社会をつくるための思考〜


隣の人と頷きあうことで、みずからの心の純粋性に疑いを抱かなくて済む。
つまり解体した社会状況と、一気に一つの思想に吸収されたいという気分は、二つながら私たちの心に同居している。不安を接着剤にして。左右保守革新の別などない。(引用:※1)

先日読了した書籍に、こんな一文があった。

いくつも共感できる部分があったが、特にこの一文は、読みながら大きく頷いてしまった。

その書籍とは、先崎彰容氏が書いた『違和感の正体』(※1)

筆者である先崎彰容氏は1975年生まれ。
東日本国際大学准教授で専門は近代日本思想・文学史。東京大学文学部卒業。東北大学大学院博士課程単位取得終了という肩書をもつ学者さんである。以前、BSフジのプライムニュースに出演されていたのをきっかけに、先生の話や考え方に興味を持ち、著書を読んでみたのである。

この『違和感の正体』という著書のテーマは、まさにメディアや知識人によって語られる今どきの「正義」に対する違和感を持つ人へのメッセージであり、さまざまな考え方の解説本とも言える。

なんとなく何かがおかしい、なんとなく共感できない。

こういう感情は誰にでもあるだろうが、その違和感というものがどこから来ているのか、この感情をどう分析すれば良いのか、そして今後どのように考えていけばよいのか等については、正直、誰も教えてくれない。

それゆえに、この分からなさの迷路は実に果てしない。

自分の知識と思考の中だけで処理しようとしても、知識の幅がないため、その迷路からは抜けられない。こういう気持ちの時に頼りになるのが、やはり学者である専門家の指南であろう。そういう意味では、読み終えたとたんに、本当に目の前の霧が晴れていくような気持ちになった。

本著書は、いくつかのテーマごとに分けられている。(国会前の)デモや日本における教育、そして平和についてや震災での出来事などなど。さまざまなテーマをとりあげて、私たちが感じるであろう『違和感の正体』を分析していく。

先崎氏のご専門である近代日本思想や文学史が盛り込まれているので、堅苦しい哲学書よりも、文学的で物腰はやわらかであった。しかし、肝心な著者の主張は、実に力強い。特に、こんな一節も個人的には深く大きく頷けた。

『言葉とは本来、全く異なる価値観を持って生きている他者との間に架橋する営み』と定義した上で、国会前の安保デモで『安倍!お前は人間じゃない、叩き斬ってやる!』と叫んだ学者に落胆したと書いてあった。

知識人は今までなんのために「ことば」と格闘してきたのでしょうか?もし現在が非常時であればある程、彼らは必死にこの時のために日頃培ってきた言語で勝負すべきではないですか。(引用:※1)

なんと小気味良く快活で、本質をピシャリと『言葉で』表現される先生なんだろうと、清々しささえ感じられる。

ここで改めて、世の中にこれほどの人間が存在する理由を考えてみる。

それは、多種多様な価値観により社会を成熟していくために必要なものであり、多様性があるからこそ、社会は新陳代謝し成長をとげ、成熟していくのである。

しかし、昨今の『正義論』は、実に危うさを感じるほど騒々しいばかりで、心の奥深くに落ちてこない。そんな時に出会ったこの1冊は、今後の物の見方に大きな影響を与えてくれそうだ。

私は、人間同士というものは、本当の意味で『話せば分かり合える』とは限らないと思っている。

それは、前にも述べたように多種多様な価値観の人間同士がぶつかりあっているからであり、それぞれが他人と完全に同化しなければ、本当の意味で理解などしあえないからだ。

しかし、もう一方で多種多様な価値観で社会を成熟させ、もう一方で他人と他人が同化して平和を作っていこうとする。これは、あまりにも矛盾する二つのことですこぶる難しいことなのだ。

だからこそ。

先崎氏の言う通り、“全く異なる価値観を持って生きている他者との間に架橋する営み”として、適切な言葉を用いて、相手と意見や考え方の摺り合わせ、議論を惜しみなく続ける必要があるのであろう。相手の考えを否定し受け付けない思考停止してしまう人間でいたくない。

熱狂の中でこそ、冷静に思考を動かせる人間でいられなければ、きっと人間はコンピューターに支配されてしまうことだろう。人間が人間でなければならないことは何か?今、求められていることだと思う。

※1:違和感の正体,2016,先崎彰容,新潮社