安全な場所から、自ら行動する場所へ 〜政治・社会・経済を語る国民とネットTVとSNS〜




<2011年1月16日 本ブログ記事より>

今日の読売新聞の「けいざい百景」にこんな文面があった。「けいざい百景」執筆者の近藤和行氏の所に届いたK君からの年賀状の一節。

『軽くなった言葉でいくら叫んでも効き目はありません。私たちは長い回り道をしていますが、“安全な場所から他人への批判する人”への共感を“自ら汗をかいて行動する人”への共感が上回ったとき、
そして、
“他人に要求する人”より“自ら責任を負う覚悟を決めた人”が増えたとき、この国は真に変わるのだと思います』

と言う文面をとりあげて、現在の政治(民主党政権)についての論評をしていた。

まさに、共感できる文面だ。

近藤氏の文章は、この引用を、現在の民主党政権の問題点を言い当てている、としていたが、私は自分の立場に置き換えて考えてしまう。

私たちは、日常生活上は自分の行動に責任を持ち、自分たちの責任下の中で考え行動している。自分の身の回りで不満や問題があれば自分で考え、解決して生活している。

しかし、社会や経済、政治など、自分たちの力のおよび届かない所になってしますと、どこか客観視し、批判や愚痴にとどまってしまう所がある。

あれが悪い、これが悪い、と愚痴を言ってはみるものの、それは解決されることもなくフラストレーションが募るだけ。

まさに、この自分の行動も、K君の言う『安全な場所で声高に叫ぶ人』ではないだろうか?と思ってしまった。

「けいざい百景」の最後に、マイケル・サンデル教授の書籍の一節を引用して結んでいた。

『我々は、若者や高齢者にどんな義務を負っているのか。その議論を避けて通れない。』

そう。

前述した近藤氏の記事にもあるように、ひとり一人が責任を負う覚悟を決め、将来の社会のためにどうすればよいかを論じる必要性に迫られているのだろう。

本来であれば、やる気になれば、個としての自分の意見や考えを自由に表現し、共感しあえる仲間と出会い、行動を起こすこともできる。

ソーシャルネットワークが浸透しはじめたこの時代に、活用次第では、個々の力が大いに発揮できる世の中の構築も夢ではないと感じたりする。

今、行き詰まっている日本の現状は、私たちに、こう呼びかけているように聞こえてしょうがない。

※引用:近藤 和行(2011.1.16)読売新聞 7p.

 



過去のブログ記事を整理していて、なんとなく目に止まったので、過去の自分のブログ記事をリライトして再投稿しています。ここ数年は、自分のブログでは政治や社会問題について書くことは、なんとなく避けてきましたが、久しぶりに感じていることをまとめなおしてみたいと思います。

実に、このブログの記事を書いたのは、2011年1月16日。
私たちは、この2ヶ月後に、未曾有の災害である大地震(東日本大震災)に見舞われました。

もう、あれから7年。
被災地の復興とデフレ経済からの脱却を目指し、民主党政権から自民党政権へと政権交代が起こり、長期安定政権への道へと走りはじめました。

震災前のあの頃、民主党政権時代もこんな行き詰まりを感じていたのですね。その程度こそあれ、本質的な行き詰まりは変わらないものの、社会の風潮は、だいぶ様変わりしてきたような気がします。

確かに、少子高齢社会への向き合い方の根本的な解決策は見当たらず、デフレ経済からの脱却も道半ばです。逆に、安全保障面では、これまで感じたことの無い危機感を感じるような世界情勢にも見舞われ、その質は異なるものの、私達日本国民の中の潜在的な不安は変わらない社会に生きているような気がします。

しかし、2011年の、この頃と少し様変わりした事があります。
それは、国民による、国民のための『世論の風』というものの存在です。

この『世論の風』というのは、時に道徳的な事柄であったり、時に政治的な事柄であったりします。それは、概ね、フワッとした抽象的な風ではありますが、時の政権の足元を揺るがしかねない風のように見えたりします。

もちろん、これはインターネット社会におけるSNSなどの言論空間で起きた風です。この風は、フワッとしたものでありながらも、時に強風のように社会の中を撫で回します。

そういう意味では、この2011年の頃から比べると、良くも悪くも、考える国民が増えてきたといえますね。



また、もう一つ違う側面でも、様変わりした事があります。
それは、マスメディアの存在です。

ここ1〜2年で、大手マスメディアは、その信頼性を失いつつあります。世界の中でも、日本という国は、TVや新聞報道への信頼度が大きく高い国でした。ほとんどの国民が、これらマスメディアから報じられる内容を頭から信用し、その報じられ方で、国民の思想や考え方は影響されていました。

しかし、今では、その信用に影をさしています。地上波のTV離れや新聞離れが進み、これらが放送法に縛られないネットメディアとSNSに置き換わっています。特に、時事ネタなど政治・経済・社会問題を取り上げるネットTV番組は、非常に軽快で、極めてフラットなスタンスで放送する番組も増えています。また、Twitterと連携しますので、リアルタイムにネットユーザーの意見をMCがとりあげ、お茶の間の視聴者と双方向で問題の共有ができるのが特徴的です。

一方的に垂れ流される既存メディア(オールドメディア)とは、そのスタンスが大きく異る放送の仕方に、若い層を中心に支持者が集まっていることは納得できます。(個人的には、サイバーエージェント社が出資しているテレ朝系の、AbemaTVの『アベマプライム』などは、MCの小松キャスターがフラットな視点で進行するので、とても好感がもてます)

つまり、このような新しいメディアが、一般視聴者の生の声を拾う事で、前述したフワッとした『世論の風』が、目に見える風として世の中の思想を立体的なものにしているような気もします。2011年の頃は、ここまでネットTVが普及していませんでしたから、そういう意味では、だいぶ様変わりしたのではないでしょうか?

私たちは、日々、様々な出来事に心動かされ、喜び、怒り、落胆、歓喜と、複雑な感情を渦の中暮らしています。そして、安全で豊かで幸せと感じられる社会が、これからの100年、200年とずっと続いて欲しいと考えながら生きていくことでしょう。表現方法や思想は多少違っても、同じ思いがその先に待っているのなら、建設的な議論をすることを止めてはいけないのでしょうね。つくづくそう思います。