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【旅コラム】名古屋城改築と本丸御殿公開

以前、愛知県名古屋市の熱田神宮への参拝のブログ記事を書きました。
実は、参拝の後は、午後から名古屋城へも観光で訪れました。

名古屋城への観光も初めてでしたので、名古屋城の観光の様子をブログにまとめてみたいと思います。

誰もが知っている名古屋城ですので、ご紹介は簡単に。

名古屋城は、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、豊臣方への備えとして、名古屋城の築城と清須から新城下への街まるごとの引っ越しをしたことから始まります。この時に、新たに作られた碁盤の目の町並みが、現在の名古屋の原型になっています。
街の名前も、そのまま受け継がれました。

名古屋城築城にあたって徳川家康は、加藤清正や福島正則など西国大名に土木工事を命じました。その後、尾張初代藩主として、家康9男の義直が入り、その後は、御三家筆頭尾張徳川家の居城として繁栄しました。

さらに、明治維新後も、そのまま温存されましたが、昭和20年の名古屋空襲で本丸のほとんどを焼失。しかし、その後、天守の再建を望む声におされ、昭和34年に天守が再建されました。

旧二之丸東二之門です。

名古屋城敷地内は実に広く、ぐるり1周するには時間がかかりそうだったので、今回は新たに公開された『本丸御殿』と天守のみとすることに。

入り口からはいると、すぐに本丸御殿がありました。
名古屋城の本丸御殿は、豊富な文献や写真、図面などが残っているため、ほぼ忠実に復元が可能でした。そこで、平成21年に復元工事に着工し、今年の6月に完全公開されます。

私が訪れたときには、本丸御殿の一部が公開されていましたので、早速入ってみることに。

こちらが本丸御殿です。名古屋城の本丸御殿は、昭和5年に天守閣とともに『国宝』に指定されていました。しかし、前述したように、昭和20年の空襲て消失してしまし、その復元が長く望まれてきました。

名古屋城の本丸御殿は、日本を代表する近世書院造りでした。13棟からなる建物で、総檜造り。室内は、豪華な障壁画や裝飾金具などで飾られ、その建築様式のみならず、芸術性でも高く評価されていたものでした。

今回の完全復元は、昭和戦前の古写真や実測図などの、豊富な史料が残されていた事により実現した事です。

こちらの写真は入口付近の廊下付近です。総檜造りですので、傷つきやすく、建物に触れないように係の方から説明がありました。

非常に上質な空間で、日本の宮大工の細やかな建築技術に脱帽するばかりです。

こちらは『表書院』です。格式を重んじる空間で、お客様をもてなす場所だと説明がありました。華麗な花鳥画など、美しい佇まいを見せていました。
天井は、折り上げ小組格天井という、威厳を示す天井になっています。

こちらは『対面所』、上段之間です。『表書院』よりも格天井が豪華な黒漆塗りになっていました。客人を招く『表書院』よりも、その奥の上段之間の方が、豪華になっている意味が分からないのだそうです。黒漆の格天井は、とても見事な仕上がりでした。

こちらは障子戸です。障子の貼り方がデザインされていて、これは『石垣貼り』というのだそうです。

とても豪華で美しい本丸御殿を見学した後は、名古屋城の天守閣へ。
実はすでに、名古屋城は天守閣を木造で完全復元することが決まっており、今年の5月7日より、天守閣に入れなくなります。入れなくなる前に、天守閣の中を一通り見学してきました。

本丸御殿の仕上がりを見る限りでは、天守閣の復元も十分期待できると思います。

文化財の保護というものは、実際の作業はもちろんのこと、費用面においても、多くの負担があることと思います。しかし、未来に歴史をつなぐという意味では、大きな価値のある事業なのだと思いました。

きっと、2022年の竣工後には、沢山の観光客で賑わう事でしょう。楽しみです。

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